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①「スクールカースト」の罠 権力・階級の…

権力・階級の固定化を加速する

11月15日、「スクールカーストの『今』について考える」という関西教育学会(67回目の大会だそうだ)主催のシンポジウムに呼ばれて、講演とシンポジストを務めさせて戴いた。

 もう一人の講演者は、著書『教室内(スクール)カースト』で中央公論社新書大賞に入賞された気鋭の教育学者、鈴木翔さんだった。

 2007年に森口朗氏の『いじめの構造』という本を読んで以来、私はこのスクールカーストという現象に興味をもっている。

 教育界では相当論議を呼んでいるテーマだが、まだ耳になじみがない人がいるかもしれない。Wikipediaにも既にこの項目が作られていて、定義が掲載されているので、それを紹介しておこう。

 「スクールカースト(または学校カースト)とは、現代の日本の学校空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、インドなどのカースト制度になぞらえた表現」とのことである。

 もちろん、教室内で序列ができることそのものが望ましくないのだろうが、『いじめの構造』の中で著者の森口氏は、現代型のいじめというのは、ときどきマスコミを騒がすような暴力的ないじめ(今やかなり例外的になっているようだ)とは違って、カーストの下位に落とすという形で行われるとのことだ。

スクールカースト現象は競争否定型教育の副産物

一般にこのカーストは、一軍、二軍、三軍とか、イケメン、フツメン、キモメンなどと呼ばれるそうだが、要するに、二軍の人間を三軍に落とす、つまりクラスのその他大勢だった人間を、相手にされないような人間にしていくという形で行われるという。

 ある日から突然、LINEを送っても一斉に既読スルーされてしまうというような状況になってしまう(森口氏が『いじめの構造』を書いた当時は、もちろんLINEはなかったが、やりとりはすでにケータイになっていた)ということである。

 私は、かねてから精神医学の立場から、このスクールカースト現象というのは、競争否定型教育の副産物だと考えている。

 70年代から、受験競争や偏差値競争のようなものが批判され、たとえば学校内で成績を貼りだすようなことがなくなった。

 そうこうするうちに、90年代になると、勉強ができない子も可哀想だが、それならスポーツができない子も同じという話になって、運動会でもなるべく順位をつけないという方向性が当たり前のものになっていく。手をつないでゴールインというのは都市伝説という説もあるが、一等や二等をとった子を表彰しないとか、あるいは、徒競走では予選を行って、ビリと一位が大差をつかないような組み合わせにするというようなことは当たり前に行われている。するとクラスで6番目に速い子がビリになるのに、ビリから6番目の子が一等賞をとるなどということも起こってしまう。

 あるいは、学芸会で主役を決めず、かぐや姫が場面ごとに変わるとか、主役のいない集団劇が当たり前になったり、クラス委員すら決めない学校も出てきたりした。

続く