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チンパンジーのいじめ、人間は仲裁に入るべき?

動物園なんてしばらく行ってない。たぶん小学生のとき、隣町の小さな動物園まで親に連れていってもらって以来である。正直なところそれほど楽しいとは思わなかった。巨大な体をもつゾウが狭い柵の内側をウロウロしていたことを覚えているが、残念ながらほかの動物はほとんど覚えていない。檻の中に閉じ込められてただじーっとしている動物は印象が薄かったのだろう。なんとなく寂しく暗澹たる雰囲気の動物園より遊園地の方がずっとはしゃいでいた気がする。10年ほど前に旭山動物園の「行動展示」が話題になった。そんなに面白いのであればぜひ行ってみたいと思ったが、今では旭山動物園だけではないようだ。日本の動物園がすっかり様変わりしているらしい。

 「環境エンリッチメント」という言葉をご存じだろうか? 『動物翻訳家 心の声をキャッチする、飼育員のリアルストーリー』(片野ゆか/集英社)によると、旭山動物園の「行動展示」の基になった考え方で、飼育環境を充実させて動物たちがストレスなく楽しく暮らせるように取り組むことだ。現在多くの動物園で実践され、「環境エンリッチメント大賞」という賞まで設置されている。本書は過去にこの賞をとった4つの動物園の飼育員を取材。飼育員を主人公とした、「ペンギン」「チンパンジー」「アフリカハゲコウ」「キリン」の4つの物語が展開する。飼育員が葛藤しながら動物の幸せを追い求める日々はドキュメンタリードラマのようでぐいぐいと読み進んでしまう。

 …と説明すると、飼育員が動物とのコミュニケーションを大切にしていかに彼らとの距離を縮めていったのか、という話を想像してしまうかもしれないがそうではない。家で飼っている犬なら、なるべくたくさん触れ合って信頼関係を築いていく。犬は家族の中の人間に序列を作ると聞くが、やっぱりいつも散歩に連れていったり、毎日エサをあげたり、いつも遊んでくれたりする人間を慕い懐いてくる。しつけたらこちらの期待にちゃんと応えてくれることがほとんどだ。ところが、本書を読めばそんな動物は極めて例外的であると改めて認識する。ある飼育員は著者と犬の話で盛り上がり「犬はいいです。ほろ酔いになろうが、そのまま眠ってしまおうが、まったく身の危険を感じないんですから」と答えている。犬が好きな理由としてそんな説明をする人はなかなかいないだろう。でも、動物は危険であり理解ができないのが当たり前なのだ。そして、それがあるがままの自然の姿なのだろう。だから、自然に近づけることをひとつの目的とする「環境エンリッチメント」ではむやみやたらに動物に近づかない。彼らと直接接触するのをなるべく避けて距離をおいているのだ。

 例えば、日立市かみね動物園でチンパンジーを担当する飼育員は、群れの1人(チンパンジーはヒトにとても近いため、業界では「頭」「匹」ではなく「人」で数えるらしい)がほかの2人にいじめられていても簡単には手を出さない。群れの中で解決されることを願って見守っている。2人に追いかけまわされ、殴られ噛みつかれ、悲鳴を上げているチンパンジーをただ見ているのはものすごく辛いはずだ。とても忍耐がいるだろう。でも、助けに入ればいじめられた1人はよくでも、2人はプライドを傷つけられ、群れのリーダーの権威は揺らいでしまう。人間が出ていくと群れの秩序が壊れるのだ。ならば1人だけを飼育すればいいだろうということになるが、チンパンジーは群れで生活するのが本来の姿であり、人間と同じでそうして社会性を身につけていくそうだ。だから、飼育員が主体的に手を加えたりはしない。仲裁に入ってケンカを収めてくれたリーダーを褒めてみたり、チンパンジーが退屈しないように毎日遊び道具を設置したり、あくまで彼らが心地よく過ごせるように間接的に手助けをしているだけである。

 また、タイトルに「翻訳家」とあるので、心を読む方法があるならぜひ教えてほしいと思ったが、そんなに簡単な話ではない。動物がこのときこういう表情をしたから、こんな動作をしたから対応するというわけではないのだ。京都市動物園のキリンは、消化器系が弱くてしょっちゅう下痢をしていたらしい。そこで、エサを草食獣用の飼料から、野生のキリンが食べるマメ科の植物の葉っぱに変えたら回復したのだという。と、一言で説明するととても簡単なようだが、これは手間ひまかけた複雑な作業の積み重ねなのである。それまでキリンは同じ偶蹄目のウシと同じエサを与えることが当たり前だったそうだ。そして、そもそも普通は日本で生えない新鮮なマメ科の植物を用意するのも難しい。キリンの立場に立って地道に試行錯誤を重ねた作業が、結果として常識を変えることにつながったのだろう。よく考えてみれば、キリンにとってそれは当たり前だったのだ。

 鑑賞されるために連れてこられた動物の子孫である彼らは、もう自然には戻れないという。疑似的な自然を作り出す「環境エンリッチメント」は、自分勝手に振る舞ってきた人間が彼らのために今できる精いっぱいのことだろう。動物にとっては微々たるものなのかもしれないが。とはいえ、今の動物園では、元気よく走り回ったり、もしゃもしゃとしっかりエサを食べていたり、以前よりずっと生き生きとした様子で動物たちが暮らしているようだ。楽しそうに生きる姿ならば、こちらだって楽しめるだろう。動物園にすっかりご無沙汰な人は一度訪ねてみてはいかが?