いじめられ続けた私の半生 [ 体験談 ]
この記事は、父の死をきっかけにどもりを発症。いじめられ続けた私の半生[体験談](1/2)の続きです。
ある日、我が家に担任の教師が訪ねてきました。
このまま学校に行かなければ、卒業ができないかもしれないと告げられました。
母はそれだけは避けたいという思いが強かったようで「嫌ならすぐ帰ってきてもいいから、明日、少しだけでも学校へ行ってみない」と、私に学校へ行くよう促しました。
私も、このままではいけないと思っていたので、次の日学校へ行きました。
クラス全員から、相変わらず無視され、冷たい視線を向けられ……。辛すぎて休み時間になるたびに、保健室へ行きました。
そんな教室と保健室を行き来する日々。そのなかで、保健室の先生と親しくなり、母にも話せなかった悩みなど、いろいろな話をするようになりました。
素直に話してしまうと、不思議と心が軽くなりました。
ある日、進路のことで悩んでいる私に、先生が、自分の母校である高校への進学を進めてくれました。
先生は、その高校でとてもいい先生とめぐり会い、その出会いをきっかけに、今の職業を選んだとか。
その話を聞いて、私もその高校に行きたいと強く思うようになりました。
そこなら、自分をいじめていたクラスメートたちとも二度と会わなくてすむというのが、高校へ行きたいと思った一番の理由でした。
それからは保健室で、先生の指導のもと、必死に受験勉強に明け暮れました。
保健室には、私と同じような境遇の同級生がもうひとりいて、保健室で顔を合わせるうちに意気投合。同じ高校を目指して受験勉強をする戦友ができました。
高校での恩師との出会い
高校受験は、2人とも見事に合格。
バラ色の高校生活がスタートしました。
お互い以外に私たちのことを知る人はひとりもいません。あんなに幸せな気持ちになったのは、久しぶりでした。
残念ながらクラスは離れてしまいましたが、2人で一緒に通学して、一緒に帰宅しました。
担任は、笑顔の優しい50代の男の先生。クラス全員のことを、本当の自分の子どものように可愛がり、褒めるときは思いきりほめてくれ、悪い事をしたときには、心から叱ってくれる……理想的な先生でした。
国語の先生だったので、担任の先生の授業では、苦手な本読みをする機会がありました。
私は、この先生になら、自分の悩みを正直に話しても、絶対に理解してくれるという確信があったので、思い切ってすべてを打ち明けました。
小学校から中学校までの辛い経験や、これからの不安に対して、包み隠さずに話をすると、スッーと、心のモヤモヤが消えていったのを覚えています。
先生は、私が話をしている間、黙って、私の話に耳を傾けてくれました。
私が話終わると、先生はまるで自分のことのように、涙を流してくれました。
その姿に私は、初めて自分の気持ちをわかってくれた人に出会えたよろこびと、先生への感謝の気持ちで、胸がいっぱいになりました。
それから、先生は、重い口を開けて私にこう言いました。「わかった。本読みは、当てない。読める自信が来たときに、先生にまた教えてくれるか?」
私は即答で「はい」と答えました。先生は、言葉通り、高校3年間、国語の授業で私を本読みに指名することはありませんでした。
大好きだった恩師との別れ
3年生になり、いよいよ進路を決める時期。
初めての担任だった大好きな先生は、3年生のときは、違うクラスの担任でしたが、進路の相談にも親身に乗ってくれました。
私のことを3年間見守り続けてくれた先生は、料理が好きだった私に、調理師学校への進学を進めてくれました。
そして、先生は「面接はとても緊張する場だから」と、私のことを考えて、面接のシミュレーションまでしてくれました。
その甲斐あって、専門学校の試験に合格することができました。先生に、合格したことと感謝の気持ちを伝えると「本当によかった」と、自分のことのようによろこんでくれました。
専門学校を卒業、そして就職
専門学校の授業は、決して楽なものではありませんでした。実習は大変で、何度も辞めたいと思いましたが、仲間との出会いにめぐまれ、卒業まで励まし合いながら、頑張ることができました。
授業のなかでは、大勢の前で話す機会があり、どもってしまうこともありましたが、ここでは誰ひとりとして、私のことを笑う人はいませんでした。
そのおかげで、症状は少しずつ軽減され、自然と周囲の視線が気にならなくなりました。
専門学校を卒業すると、栄養士としての道を歩むことに。病院への就職も決まっていました。
仕事内容は、病院の患者さんに栄養のある料理を提供するというとてもやりがいのあるものでした。
患者さんに「美味しい料理をいつもありがとう」と、声を掛けられるたび、心の底から「途中で人生を諦めなくて、本当に良かった」と思いました。
結婚して、親になり強く感じることは……
そしてその病院に患者として入院していたのが今の主人です。
2年間の交際を経て、結婚しました。そして結婚してすぐ長男が誕生。
親になって初めて、母の気持ちが痛いほど理解できました。
中学生のとき、忙しいながらも、いつも明るく振る舞ってくれた母に対して、ひどい言葉をぶつけてしまったことに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
母の元に訪れたとき、私は昔話のなかで母に「ごめんなさい」と謝罪しました。
すると、母は「私こそ、ごめんね。ずっと、寂しい思いをさせてしまって」と。
母の思いやりのある言葉に、涙が溢れました。
今では、親子のわだかまりもすっかり無くなり、楽しく笑顔の絶えない日々を過ごしています。
苦しいときは、誰にでも必ず訪れます。その大小は人によりさまざますが、ひとりで抱え込むのではなく、誰かに心を開いてみるのも、いいかもしれません。
信頼できる人に話をするだけで、気持ちが楽になります。
人との出会いを大切にして、感謝の気持ちを忘れずに前を見て進めば、どんなに辛い悩みでも、絶対に乗り越えられると信じています。