いじめニュース速報@イジ速

いじめ事件 ・イジメ ニュースを発信中!スマホいじめが増加!子供達をいじめから守ろう!

映画 「十字架」 監督 五十嵐 匠

f:id:ryoushinn11:20160224133905p:plain

ヒューマンな作風で知られる五十嵐匠監督が重松清の同名原作を映画化した「十字架」(アイエス・フィールド配給)が大阪のシネ・リーブル梅田で上映されている。いじめで自殺した少年の思いを背負って生きる人たちを描いた作品で「十字架を下ろすことはできないが、生きる希望はあるのではないか」という五十嵐監督に話を聞いた。

■原作をリアルに

 -重松清原作との出合いは?

 僕はベトナム戦争ピュリツァー賞カメラマンの沢田教一さんの生涯を追った「SAWADA」からほとんど実在の人物を主人公にして撮ってきたが、重松さんが5年前に発表し吉川英治文学賞を受賞した「十字架」を読んで、ぜひ映画化したいと思った。いじめの問題と、その十字架を背負って生きる人たちの物語をリアルに描きたいと。

 -映画化までに時間がかかっている。

 映画会社やテレビ局などに持ち込んだが、「いじめ」の問題はテーマが重いと断られ続けた。映画は大体一人の思いから始まる。まずシナリオを書いている時、次第に思いのある人たちが集まって来て、映画を作りたいという「私たちの祭り」が始まった。「十字架」は単なるいじめの映画ではない。

 -原作のどの辺に引かれたのか。

 いじめで亡くなった子どもたちの親にインタビューして原作が書かれており、ボロボロ涙が出た。中学校でクラスメートのいじめで自殺に追い込まれていく藤井俊介(小柴亮太)と、その父親(永瀬正敏)と母親(富田靖子)、そして同じクラスで「いじめ」を見て見ぬ振りをした真田祐(小出恵介)と、俊介が思いを寄せた女生徒の中川小百合(木村文乃)らの苦悩、その背負ったものが心に残る。

■足腰を強く…

 -ある種ドキュメンタリー的に描かれる。

 劇映画だから、リアルなうそをつきたいと思った。みんなが背負ったものは「下ろすことはできないが、軽くすることはできる」ということと、残った者は足腰を強くしなければならない。父親はクラスメートの「無関心」を憎み、母親は息子が「親友」と書いていた祐と、「恋」をしていた小百合に彼の残影を見る。つらいと思う。

 -学校側の対応もリアルに描かれている。

 これは実際にいろいろないじめ事件を調べて、学校と教師の言い分をリアルに表現して描いた。俊介の葬式に参加して、「学校の伝統を汚してすみません」と言うよりも、まず俊介の遺影に黙とうをしてほしいと思う。また同じことを繰り返していると思うと同時に、教師の「言葉」に何か割り切れないものがあるのは確か。父親も息子を信じていたから裏切られたという思いがあるし、母親は息子の「変調」に気付いていたという後悔がよぎる。

 -見て見ぬ振りをした祐の存在が一番のポイントになる。

 祐が見て見ぬ振りをしているのを知っている俊介が、彼のことを遺書に「親友」と書いたのはいろんな思いがある。祐自身それを分かっているから、十字架が一番重いと思う。俊介に誕生日祝いをもらった小百合も、直接の訪問を断ったという後悔が残っている。取り返しがつかないが、そのため2人はそれから20年の歳月を、罪を背負ったまま生きていく。

 -その20年は長いのか、短いのか。

 彼らは自分の生きざまをかがみにするしかないし、許されるか許されないかも分からない。ただ大人になって、2人がそれぞれ自分の子どもを持った時に何かが変わる。それは「生きる希望」みたいなものであればうれしいと思うし、それを見つけるまで随分と時間がかかったというしかない。それまでの彼らの「叫び」がそこで聞こえてくるようにしたかった。

■10本目の作品

 -大人になった祐が昔の俊介に会う幻想シーンがいい。

 祐が自分の小さな息子とサッカーをしていて、そのときにボールを蹴る俊介の姿が出て来る。それは映画でやりたかったオリジナルシーン。映画監督として今回の作品が10本目。昔の映画の師匠、四宮鉄男監督に感謝しなければならない。黒木和雄監督らのグループに所属していた人だった。

 いがらし・しょう 1958年生まれ。ベトナム戦争のカメラマンを追いかけたドキュメンタリー「SAWADA」(1997年)で高い評価を得た後、「地雷を踏んだらサヨウナラ」「みすゞ」「HAZAN」「アダン」「長州ファイブ」「半次郎」など実在の人物を描いた作品を発表。10本目の今作も魂の闘いを描く手法は変わっていない。

f:id:ryoushinn11:20160224134016p:plain「背負っているものは重いが…」と話す五十嵐匠監督