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いじめや虐待などの蓄積で自殺願望も…少女の逃げ口になったのは?

平谷彩音(27、仮名)はもともとの性格もあってか、コミュニケーションが苦手で、人間関係をうまく作れなかった。いじめや虐待の影響もあったためだろう。生きづらさや自殺願望を持つようにもなるが、実行には至らない。彩音にはどんな逃げ場があったのだろうか。

「積極的に生きたいわけでもない。死にたいくらいに辛い」

「死にたい」。彩音が初めてそう思ったのは21歳のときだ。

「突発的でした。辛い記憶を思い出すときは今でもそうです。『死にたい』は『寂しい』とかぶるところもありましが、違う部分もあります。『この気持ちを聞いてほしい』ということでしょうか」

その頃は何があったのだろうか。大学入学前、浪人をして予備校に通っていた。母親は勉強が苦手で、教育の受けさせ方がわからない人だった。勉強のプロセスを見てもわからず、結果でしか判断できないタイプだ。ただ、小学校の頃に彩音がいい成績を取っていたために、「もっと上を目指せ」と言われていた。

その影響もあってか、大学に入学するころ、「弁護士になろう」と考えた。法律系のサークルに入った。そこで友達ができたが、基本的には一人で過ごした。優秀な人ばかりだが、彼らは誰かに見切りをつけるのも早かった。あまり長く一緒にいると切り捨てられる。そんなことは避けたかった。

ただ、「死にたい」と思った時期に、それを決定づける出来事があったわけではない。それまでの積み重ねによるものだったのかもしれない。

「『死にたい』と思っても、実行はしていません。イメージはできますが、実行したら痛いじゃないですか。それに、『死にたい』という気持ちのまま、死にたくないです。ただ、積極的に生きたいわけでもない。死にたいくらいに辛い。死にたいくらい寂しい、ということです」

自殺願望はあっても、行動したことはない。自傷行為もしたことはない。ただそれは、周囲にはわかりにくく見える。彩音が「死にたい」と考えているとは思えないはずだ。では、いったい、「死にたい」と思うまでの出来事とはなんだったのだろうか。

「自分はいじめられてもいい存在」

彩音は幼い頃、ぼーっとしているように見えることもあった。ただ、テストの成績がよかったため、「カンニングをしている!」との噂が立った。男の子が言葉によるいじめをしていたが、女の子でも、そのいじめっこの取り巻きはいじめる側に加担していた。いじめられるときは、「平谷」と苗字で呼ばれた。

いじめにはターゲットが流動的になる「ローテーションいじめ」があるが、固定的なターゲットにされていた。

「理由はたしかめていません、加害者から『好きな人が一緒だった』と聞きましたが、それだけじゃないのではないでしょうか。いじめについて先生に怒られたから謝ってきたんですが、その前に他の人とコソコソ話し合っていましたから」

もともとクラスメイトと馴染んでいたわけではない。休み時間は絵を描いていた。そのため、みんなと遊ぶことはしない。運動が苦手なために、外で遊ぶことはしなかった。見ようによっては「孤立」していたが、彩音に仲間外れの意識はなかった。

「友達の作り方がわからないんです。何かを言われても反論しないタイプなんで。なにか言ったら遊んでくれなくなってしまうのではないかと思っていました。我慢をしないと、友達が離れていってしまうのではと感じていたんです」

中学は「いじめが持ち越されないように」と私立の中学へ進学した。2年のときは、「嫌な奴」から目をつけられ、指を指して笑われた。ただ、クラス全体を巻き込む勢いではなかった。

「悪めだちをしてしまったんです。音楽の授業でやる気を出して歌ったところ、それが嘲笑の対象になってしまったんです。授業の流れを読めていなかったんです。でも、私は、自分がいじめられてもいい存在だと思っていたんです。そう思うことで辛い状況をやり過ごそうとしていたんです。自己評価が低かったんです」

言葉を額面通りに受け止めてしまう性格

彩音の性格の特徴の一つに、言葉を額面通りに受け止めることがある。友達と喧嘩をすると、「絶交だ!」と言われたのに、翌日になると、話しかけられる。ある意味、友達との関係というのは言葉通りではないし、流れやノリもある。ただ、こうしたときは戸惑った。友達間だけでなく、母親との関係でも同じだ。

「母は暴言を言う人でした。でも、母には『私にとっては一番大切だから』と言われるんです。矛盾することを人は言うものだし、額面通りに受け止めることはないと感じたのは、成人してからでしょうか」

人との会話では、ほとんどが意味のあるものより、場をつなぐためだったり、内容よりは話すこと自体に意味がある場合が多いだろう。にもかかわらず、言葉一つひとつをその通りに受け取り、意味を持たせていたとすれば、コミュニケーションへのスタンスが非常に窮屈になる。彩音は少なくとも成人するまで、発せられる言葉をそのまま受け取っていた。

父親は虐待、祖父母と母親は宗教にすがる

こうした不器用な彩音が「生きづらい」と感じるようになったのは実は4歳ごろからだったという。

「さすがに、その頃に『生きづらさ』という言葉は知りませんが、なぜか、寂しいと感じていました。一人遊びばかりしていた時期です。生きづらいと思っていたということは自我が強かったのかもしれません。正しい振る舞いをしたいと思っていたんですが、それがどういうものなのかわからないんです。保育園の先生も、そんなこと教えてくれませんでした」

「生きづらさ」を彩音が意識していたのは、幼い頃に、母親と離婚した父親の振る舞いも影響しているのかもしれない。「産まれないほうがよかった」と父親は言っていた。自己評価が低い父親はいつも母親に暴力を振るっていた。母親はドメスティックバイオレンス(DV)の被害者だった。

また、母親が父親にダーツの的にされたこともあった。ダーツが当たり、血を流している母親の姿を彩音は覚えている。これも現在では、面前DVと言われるほどの虐待だ。父親から彩音は母親の愚痴を聞かされていた。

彩音が生まれてすぐに母親が入信した宗教の影響もあるのかもしれない。彩音の家系では、母方の祖父母がその宗教に入っていた。母も強い影響を受けていた。母親が宗教にすがったのはDVの被害者だったことも一因かもしれない。そんな中、彩音なりに、祖父母や母親の価値観にそった生き方をしようと思っていた。

逃げ場はインターネット。いろんな人とつながった

綾音は心理的にはきつい状況にありながらも、「いじめられてもいい存在」として、鈍感になることで「傷付かない」と思い込んでいた。そんなときに、パソコン部に入部し、インターネットで気を紛らわせていた。

「インターネットって怖い事件もありますが、裏を返せば、ネットでは普段出会えない人に出会えるんです。佐世保小6同級生殺害事件がありましたが、きっかけはコミュニケーションの行き違いですよね。そうした行き違いは普通に話していても起きることです。ただ、事件を起こした人のサイトは見ないようにしたんです。野次馬の一人になるのは怖いと思ったからです」

休みの日も外出せずにネットに明け暮れた。絵を描くのが趣味だった彩音はこの頃はすでに描かなくなっていた。部活内に絵の上手な人がいたので、差を感じていたからだ。ただ、逃げ場が欲しかった。高校時代にはSNSの「モバゲータウン」で、我慢できない心情を日記に描いていた。また、いろんな人と繋がった。

「逃げ場ならなんでもよかったんです。ただ、当時はパケットが従量課金でしたので、パケ死状態(パケット料金が想像以上に高額になり、支払いが難しくなる状態)でした」

SNSで思いを吐露していたからか、高校時代、彩音は「これまでの人生でもっとも平穏だった」という。モバゲータウンつながりで実際に会ったのは高校生と20代の男性の2人だ。

「こちらから『会いたい』と積極的に思ったわけではないです。『会おう』と言われたからです。嫌われないようしないと見捨てられちゃうと思っていたからでしょう」

このころ、学校に行けなくなることがあった。週に2、3日は登校できない。その意味では、不登校というほどではない。また、保健室に行くことは思いつかなかった。さぼり組が多かったこともあり、顔を出してないのだ。そのため、居場所はインターネットだけだった。

「家にあったパソコンでインターネットをしていました。1日最大で6時間ぐらいしていました。高校2年ぐらいからはニコニコ動画を見ていたりしました。生主はしていません。顔や声をさらすのが嫌なんです」

父親からの心無い言葉、祖父母と母親からの宗教の影響、小学校と中学校のいじめ....それら一つ一つは、生きづらさを感じるものではあったが、彩音にとっては、「死にたい」と思えるほどの出来事ではなかった。しかし、それらの蓄積によって、自殺を考えるほどになった。ただ、追い詰められながらも、実行しなかったし、自傷行為もしていないのは、インターネットという逃げ場があったためだろう。