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仙台西高3年の三浦七海さん(18)「震災いじめ」を語り部

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東日本大震災から11日で6年半。文部科学省は避難した子供約1万2000人に対し、いじめは199件確認、うち13件が震災や原発事故に関連すると断定したが「氷山の一角」という声も上がる。そんな中、理解し合う大切さを訴え、自身が受けた「震災いじめ」の語り部として声を上げる若者も出始めた。

 

 昨年11月、福島から横浜に避難した当時小学生の男子生徒が名前に「菌」を付けて呼ばれ、金銭まで要求されていたことが明らかになった。この問題をきっかけに、避難した人々への差別や無理解の実態がようやく議論されるようになった。

「次はあなたが被災者になるかもしれない。その時を考えるきっかけにしてほしい」

 傷付いた避難者の苦悩が続く中、わかり合う大切さを訴え始めた人がいる。仙台西高3年の三浦七海さん(18)は中学時代の「震災いじめ」を、語り部として伝えている。

 700人以上の犠牲が出た宮城県名取市沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区出身で、震災当時は小学5年生。津波で自宅を流され、市内の内陸部の中学校に入学したが、閖上から来たとわかると、いじめが始まった。「支援物資をもらってずるい」「周りはたくさん死んだのに、なんで生き残った」。バッグやヘルメットに砂利を詰められた。不安で登校できない日もあった。被害がより大きかった閖上だけが、手厚く支援を受けるのをうらやむ声が背景にある、と周囲から聞かされた。

 3年生の時、復興支援に取り組む東京の高校生から、仲間の集まりで被災の状況を話すよう頼まれた。「つらい体験をわかってくれる人がいるかもしれない」。声が掛かれば経験を語るようになったが、いじめには触れづらかった。高校進学後、思い切って友人に打ち明けてみた。「大変だったね」と抱き締めてくれた。わかってくれる人がいる。本当のつらさをようやく語れるようになった。

 夏休みを利用し、首都圏や四国にまで足をのばし、人々に体験を語っている。最近、英語の勉強にも力を入れるようになった。少しでも多くの人に伝えたいからだ。距離はきっと縮まると信じている。

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 ただ、現実は依然として厳しい。

 「地元に帰った避難者も大勢いる。なぜ残るのか」。4月、東日本大震災の2年後に開設された新潟市の「避難者交流施設」に匿名の電話がかかった。今村雅弘復興相(当時)が、自主避難者が故郷に帰れないのは「本人の責任」と発言した翌日。「大臣の記者会見を見たが、私も帰ればいいと思う」「避難者は毎日遊んでいる」。年配らしい男性の訴えは、30分近く続いた。

 施設は、昨年小学校の同級生から名前に「菌」を付けて呼ばれた男児の母親も利用していた。「触るなよ。放射能付くだろ」とも言われていた男児は担任に訴えたが、5日後、その担任にまで「菌」付けで呼ばれ、不登校になった。「親しみを込めたつもり」。母親は教頭から担任の弁解を聞かされた。男児は今春、別の学校へ転校した。

 母親は匿名電話の内容にも驚かなかった。「特別扱い」「賠償金あるんでしょ」。そんな声を掛けられることは珍しくないからだ。「自主避難者に定期的な賠償金の支払いはなく、住宅の無償提供も3月で打ち切られた。多くの人が、それすら知らない」

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 3年前、教室の電気を消した講師に「放射能浴びてるから光ると思った」と言われた関西学院大の女子学生は、今春から大学を休学している。

 1年の英語の授業で出身地を尋ねられ、「福島」と答えた直後の暴言だった。言われた瞬間は驚きで反論できなかった。「傷付くだろうな」と福島の家族や友にも話せなかった。その後もバイト先などで出身地を聞かれては「こいつの線量測れ」などと返されてきた。相手は軽い冗談のつもりのようだったが、感情を抑える機会が増えるにつれて他人の視線や会話が怖くなった。街も歩けなくなった。

 被災地以外に住む人との意識の差は、時の経過とともにむしろ広がっていると感じる。「放射能に対するそれぞれの葛藤は理解されずに『もう大丈夫でしょ』と言われている気がする」。

 喪失から再生に向かっている人々のこころに、深い傷が刻まれている。