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『聲の形』はいじめっ子を美化する作品? 中国政府と観客に温度差

こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

 9月8日、京都アニメーション製作のアニメ映画『聲の形』が中国で公開されました。

 本作は大今良時氏の同名漫画が原作で、聴覚障害を持つヒロインの少女・西宮硝子と、彼女をいじめたことがきっかけで孤立してゆく主人公の少年・石田将也の触れ合いを描いたもの。日本では昨年9月に公開され、全国120館規模ながら興行収入23億円を記録する大ヒットとなりました。

■作中には、現実問題が的確に描かれている

 僕は『聲の形』には、日本社会が抱える現実的な問題が内包されていると思います。作品序盤で聴覚障害者の硝子がいじめられた際、担任教師とクラスメイト全員が、まるで傍観者のように彼女を嘲笑します。その後、硝子の母親が壊された補聴器の請求のために学校に抗議したことにより事態は一転し、硝子を率先していじめていた将也は、自身がいじめられるハメになります。障害者を露骨に差別するクラスメイトの植野直花は「硝子がろう学校や特別支援学級ではなく、一般学級に通学するがゆえにクラスメイト全員に迷惑がかかる」と説くのですが、確かにハンデを背負った人物が原因で多くの人に負担がかかるという例は珍しくありません。

 その一方、障害者を助けることにより「意識の高い自分」を演じて周囲からの評価を上げようとする八方美人的な川井みき、真剣に硝子を助けたいという思いから手話を学んだ挙げ句、植野に第二のいじめの標的にされるという哀れな境遇の佐原みよこなど、さまざまなキャラの心理描写や心境の変化が作中で描かれています。

物語のクライマックス、クラスメイトたちは殴り合った末に、互いを理解しようとします。結局、誰の意見が正しいのか、明確な答えは描かれません。僕は『聲の形』を見た後、いろいろと複雑な心境になりました。

 中国版の『聲の形』は、「教育上不適切な表現」という名目で、中共政府が、将也が硝子をいじめる場面、将也の母親が土下座する場面、クラスメイトが暴力を振るう場面など、数十カ所、計20分程度がカットされました。当然、ストーリーの重要な場面が端折られた状態となり、観客からは「ストーリーが唐突でよくわからない」などと苦情が殺到しました。

 さらに、中共政府の機関紙「環球時報」は、「『聲の形』は、いじめっ子を美化する内容だ。作中のいじめ場面は、昔いじめられていた人に不安感を与え、エンディングでいじめを行った者が救済される点が不愉快な印象を与える。このような作品が作られたのは、日本の学校にいじめがはびこっているからだ」と酷評しました。これは、日本を批判するためのプロパガンダ的な報道です。

 中国人の観客の大半は、日本人と求める要素が違います。中国では過去に悪いことを行った人を死んでもなお鞭で叩き続けるという、徹底的にやり込める痛快感を求めます。中国のことわざ「悪い犬が川に落ちても叩き続ける」(痛打落水狗)には、その国民性がよく反映されています。

■日本をいじめ体質だと批判する、いじめ国家・中国

 このような世論がまかり通っていますが、チベット民族・香港に対する迫害、富裕層の貧困層に対する搾取、公権力による一般人いじめ、共産党内部の内ゲバ、在中外国企業に対する嫌がらせ、自国周辺の小国に対する攻撃など、実際の中国社会には、いじめ気質がまん延しています。

ある中国人アニメファンは環球時報の社説を受けて、「いじめられっ子に『いじめられることを反省しろ』というのが、典型的な中国の教師だ」という反論をネット上に寄せました。この意見には僕も思い当たる節があり、小学校の頃、僕は成績が悪いことが原因でクラスメイトからいじめられていたのですが、担任教師はその様子を見ていじめっ子をしかりつけるのではなく、「お前の成績が悪いから、いじめられるんだ。反省しろ」と僕に言いました。強い者がはびこる一方、弱い者は徹底的に虐げられるのが中国社会です。

 僕は、映画公開前から漫画を全巻読破するほどの『聲の形』ファンです。日本での公開時、同時期に同じくアニメ映画の『君の名は。』が空前の大ヒットを記録しましたが、僕自身は『聲の形』のほうに共感します。『聲の形』は障害者やいじめがテーマという理由から、いったん雑誌掲載が見送られたという経緯を持ちます。このような風潮は、リベラル層が、日本の言論、マスコミ界の上層部に多く存在しているためだと思います。彼らの過剰な配慮により、名作が封印される可能性があったのです。

聲の形』は、障害者、いじめ問題を世間に問いかける内容であり、差別を助長するものではありません。しかも、登場人物は全員架空であるため、個人を中傷する内容ではないのです。行きすぎた表現規制は、漫画家、小説家、映画監督など、多くのクリエイターの可能性を奪う行為だと思います。