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東京都立小山台高校一年の男子生徒(当時16)が自殺

都初のいじめ調査が実施

2015年9月、東京都立小山台高校一年の男子生徒(当時16)が自殺した。この問題で、東京都教育委員会のいじめ問題対策委員会は9月26日、調査結果を公表した。

調査は約1年8ヶ月、時間にして214時間にも及ぶ調査だったが、「収集できた資料の範囲内で判断する限りにおいて、いじめがあったと判断することは極めて困難」と、いじめを認めなかった。また、自殺の背景には触れなかった。遺族は報告書の内容に不服として、小池百合子都知事に再調査を求めている。

本人が「心身の苦痛を感じていたか」も判断ができない

報告書などによると、2015年9月27日午後4時30分ごろ、都立小山台高校一年生の男子生徒がJR中央線大月駅で列車に飛び込んで死亡した。その後の学校の調査ではいじめについては認められなかったが、遺族が生徒のスマートフォンのデータを復元したことで、いじめがあったのではないかとの疑念を持ったことから、16年1月、都教委ではいじめ問題対策委員会を開催し、調査部会の部員を指名した。

いじめの有無の判断については、いじめ防止対策基本法による定義がある。法では『児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人間関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む)であって、当該行為の対象になった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの』としている。しかし、調査部会では前提として、「形式的に法による『いじめ』の定義に当てはめると広がってしまうことから、加害者側とされる生徒の事情も考慮すべき」とした。

同時に、「亡くなった生徒本人へいじめがあったことを直接示すような本人のメモ・遺書等はない」。「個々の出来事では、法がいう『心理的物理的影響を与える行為』があったが、それらの行為によって本人が『心身の苦痛を感じていたか』も判断ができない」ともしている。

 

会見にのぞむ教育委員会と調査部会の関係者(撮影:渋井哲也

 

連呼行為は一種の言葉遊び。「心身の苦痛」を感じていたとは認められない

報告書では、亡くなった男子生徒に関する18の事実関係のうち、「4月~5月中旬の出来事」、「合唱コンクール(6月12日)」、「机をバーンと叩いた件」、「水泳大会」、「部活動全体の無料通信アプリ・LINE上で名前を連呼する行為」の5つについて、いじめの有無の検討を行った。ちなみに、遺族側が指摘していたいじめは15件だったが、5件に絞った明確な理由は記載がない。

それぞれの出来事について調査では、下記のように論じている。

「4月〜5月中旬の出来事」においては、、4月14日のアンケートで、「いじめられている気がする?」との問いに、「全くない」と回答していると指摘。5月1日の学習リサーチアンケートには「家庭や保護者のことについて」で、この時期、いじめを受けて悩んでいたとは見受けられない。

合唱コンクール」では、クラスの代表の生徒から、練習時に歌い方について注意を受けていた。亡くなった生徒が親しい女子生徒に合唱コンクールの打ち上げに行きたくないと話していたり、ツイッターでは、不快な思いをしていたことがわかる。しかし、亡くなった生徒だけが目立って注意されたわけではない、としている。

また、母親は、亡くなった生徒が「ダメだ」「下手だ」と言われていた点を指摘していたが、「調査が進んだ3ヶ月後に初めて突然主張した」として、母親の主張の信用に対する疑問も残ると判断。そのため、言われたこと自体、「事実があったこと自体確かめられない」としていた。

「机をバーンと叩いた件」については、「日時は明らかではないが、母親が主張するような出来事があったと話す生徒が複数存在した」と認めているが、「その背景にいじめが存在するという事実は確認できない」としている。

ただし、聞き取り調査の中で、周囲が驚き、怖いと思った生徒がいたこと、真似をしたり少しからかう感じのものがいたという事実が確認できた。ただ、「真似をした者がいる」と証言したのは生徒一人で、真似されているのを「見ていなかったと思う」と回答したことや、「ツイッターではこの件はつぶやかれていない」「さらには多くの生徒は覚えてない」といったことを総合的に判断すると、この件で「心身的な苦痛を感じていたとは認定できない」とした。

「水泳大会」に関しては、生徒への聞き取り調査が終わった後に、母親から初めて、クラスメートから「痩せている」「ガリガリだ」「胸がへこんでいる」「水泳がへただな、遅いな」「「クラスの足をひっぱるな」などと言われていたと主張がなされた。しかし、このような事実を見聞きした生徒は一人もいなかった。主張のもとになった母親の手帳にも一切、記載がない。そのため、「いじめの事実は認定できない」とした。

「部活動の全体のグループLINEで、亡くなった生徒の姓に近い言葉が連呼されたこと」については、この言葉は、ハンドルネームであり、部活内での呼び名でもあったことから、亡くなった生徒を指すものだとした。この点について、法が定める「いじめ」の定義に該当するとも考えられる。しかし、攻撃的、否定的なメッセージを読み取ることができないし、連呼行為があったのは1日だけ。一種の言葉遊びで、「これによって亡くなった生徒が『心身の苦痛』を感じていたとは認められない」とした。

調査部会「法のいじめの定義は広範すぎる」

報告書には「その他の検討事項」の中に、「いじめの定義を巡る混乱」という項目がある。いじめ対策推進法による定義は「いじめ」を広く捉えている。しかし、調査部会としては、いじめを広く認定することをしなかった。

「関係性が存在する以上、今回、当該生徒が同じクラスの生徒や同じ部活動の生徒の言動から、心理的影響を受けていたことは事実である。その結果、当該生徒が、不快感や寂しさを感じたことがあったであろうことは否定しない。だが、いじめ問題に対する指導を行うに際して、学校、教職員がその端緒として活用する定義としては有用であるとしても、少なくとも、いじめ防止対策推進法に基づき重大事態の調査が行われるに当たってはこれをいじめと捉えることは広範にすぎる」

この件について、会見で調査部会長の坂田仰・日本女子大教授は、「遺書がない中で、亡くなった生徒の気持ちもわからず、法の定義をそのまま当てはめるには限界がある。ある種のいじめと捉えることもできるが、加害側とされる生徒の意図を考慮せずに判断していいのか」と答えた。

いじめの定義については、原発事故をきかっけに横浜市自主避難して来た子どものへのいじめ調査でも問題になっていた。16年11月に公表された報告書では、全体としてはいじめを認定しているが、被害児童から加害児童になされた金銭授受は認定しなかった。これは過去のいじめ行為と同じようなことを回避するための行為だがいじめと認めなかった。しかし、その後、岡田優子教育長は「金銭授受もいじめの一部と認識する」と謝罪したことがある。

遺族側「法の趣旨はいじめの防止。被害者の心情を理解することが必要」

遺族側の代理人は「調査部会が示したいじめの定義であっても、今回の件はいじめと判断できるのではないか。法の趣旨はいじめの防止。被害者の心情を理解することが必要だが、その観点でいじめの判断がなされなければならない」と述べた。また、遺族の母親は調査委の判断について、「こじつけとしか思えない」と答えていた。

 

会見で報告書について批判。小池都知事に再調査を依頼したことを話した遺族(撮影:渋井哲也)

 

今回の調査を終えて、坂田部会長は「遺族の主張を前提にいじめの調査を行って来たが、いじめの存在は確認できなかった。我々は調査結果について自信を持っています」と話した。ただし、坂田部会長は「調査の限界」という言葉を何度も繰り返した。調査委は「第三者委員会」と呼ばれることがあるが、学校や都教委から完全に独立しているわけではない。また、自殺の原因がいじめではないとしたら、その背景に踏み込んでいいのかと悩んだことが報告書にも書かれている。

一方、遺族は報告書の内容を批判する。「息子はTwitterに心身の苦痛を感じたことを書いているし、息子が心身の苦痛を家で母に話していた会話は事実です。事実を報告書に書いてないことは、偏った不公平な書き方です」と、報告書を批判した。「中立・公平と言っていたのに、生徒や先生に聞き取りをした内容だけを元に判断している、息子は理由もなく、勝手に死んだわけではない」と話していた。

遺族側代理人は「いじめが、学級や学校といった集団の中で日々の積み重ねで構築され、孤独感や孤立感といった感情を日に日に蓄積させるものという視点が欠けている」として、文科省の「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」に基づいて、再調査を要望した。

なお、調査部会と遺族とのコミュニケーションが円滑ではなく、信頼関係が作り上げられなかった点があったともされている。教育委の担当者が遺族に対して怒鳴ったのではないかと記者から指摘された。担当者は「遺族に対して感情が高ぶったところがあったのは事実で、遺族にはすでに謝罪した。かなり長い時間にわたり、私なりに丁寧に寄り添ったつもりで、努力はしてきた。しかし、一回でもあってはならないこと」といい、大枠で事実を認めた。

姉もコメント発表「遺書がなければ結局認めないということなのか」

また、亡くなった生徒の姉もコメントを書いたメモを発表した。合唱コンクールの件については「個人的な発言を聞き一方的に気分が悪くなったというのは普通に気分が悪くなるでしょう。一生懸命やっててぶち壊されたようにも思うんだから。本人だけを責めてないからいじめではないという判断で、それですべて片付けられそうだ」(原文ママ)と懸念を表明した。

また、いじめの判断について「精神的に嫌なことをされていても遺書がなければ結局認めないということなのか。それでいじめと判断されないのはおかしい。いじめの範囲を広げないってなんで決めるのか。部会の人たちのものさしではかるのはやめてほしい」(同)などとしていた。