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エホバの証人の家の子に生まれ… 同級生の家に勧誘しに行く「私は普通でありたかった…」

「私は普通でありたかった」

 「子供の頃、母に連れられて「勧誘」に行くのは、とても憂鬱でした。いい顔されることはまずないですから……。それでも、まだ幼い私がパンフレットを差し出すと、それだけは渋々受け取ってくれる。すると、母や兄弟姉妹が「えらいね」って言ってくれるんです。子供ですから、褒められるとやっぱり喜んじゃうんですよね。

エホバの証人」は争いを禁じているので、伺ったお宅でいくらなじられても、喧嘩になることはありません。それに、本人たちは「自分たちが唯一正しい宗教」と信じています。どれだけ拒否されても「あの人は楽園にいけないね」と、むしろ心配に思っているんです――。」

そう話すのは、漫画家のいしいさやさん。エホバの証人の信者である母のもと、「二世信者」として育ったいしいさんは、幼い日の体験を8ページの漫画で描き、ツイッター上で公開した。

その漫画は瞬く間に話題を呼び、3万5000回以上のリツイートを記録。「応援してます!」「続きが読みたい!」や「私も同じ経験をしました」など多くのメッセージがよせられ、その続きが「ヤングマガジン サード」で連載されることになった。

この度、いしいさんの連載をまとめた『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が発売。元エホバの証人のいしいさんに、この漫画を描くにあたった経緯とともに、宗教団体「エホバの証人」について語ってもらった。

取材・文/伊藤達也

普通でありたかった

自分の体験を漫画にしたきっかけは、「認知行動療法」でした。会社務めをしているときに、身体的にも、精神的にも具合が悪い時期があり、その時に一冊の本を手に取ったんです。それが、人の認知に働きかけて不安を取り除く「認知行動療法」という心理療法の本でした。

本にはこう書かれていました。

「感情を文章や絵などで表現できるようになることが大切です」

「不快な感情になったときのこと、そのときどんな感情になったか書いてみましょう」

それを読んで、絵を描くのが昔から好きでしたから、自分の「子供の時のこと」を漫画にしてみようと思ったんです――。

私は、熱心なエホバの証人の信者である母のもとで育てられた、いわゆる二世信者でした。いまは信者ではなく、家族とも離れて暮らしています。最近、ようやく冷静に、子供の頃のこと、エホバの証人について考えられるようになってきたところです。

エホバの証人は、正式には「ものみの塔聖書冊子協会」と言います。

エホバの証人といえば世間的には「輸血が禁じられている」「なんだかいろいろと問題になる宗教」というふうに認識されているようです。

でも、信者の生活はそういった危険なイメージとはいたって無縁です。

 

エホバの証人では信者同士のことを「兄弟姉妹」と呼ぶのですが、兄弟姉妹で集まって毎週集会を行い聖書の勉強をしたり、「奉仕」と呼ばれる布教活動を行ったりするくらいです。争いや政治参加が禁止されているので、他の宗教団体と比べて派手な活動を行っていないし、有名な方もいないので、いたって地味な宗教です。

実際には、漫画で描いた通り、今思えばさまざまな「普通でない」ことがありましたが、小さい頃は、母の言うことにただ従っていたのでそれが「普通」だと思っていました。

でも、学校に通ってクラスメートと話したり、外の社会に触れ合う機会が増えたりするにつれ、私の生活がどうやら「普通でない」ということがわかってきました。家での「普通」と社会での「普通」の間に挟まれた私は、次第に苦しい日々を過ごすことになったんです――。

小さい頃から絵を描くことは大好きでした。エホバの証人では、漫画そのものは禁じられていません。だから、家にも母の本棚に『キャンディ・キャンディ』のような古い漫画がありました。好きだった漫画は、父の持っていた『ドカベン』です(笑)。野球はよくわからないんですけど、熱さが伝わってくるんですよね。

ちなみに父は信者ではありませんでしたが、母の活動を止めることはしませんでした。

ただ、漫画でもダメなものはあります。エホバの証人の教義では、「競争禁止」「政治参加禁止」など、禁止されていることがいろいろあります。

ドラゴンボール』や『ポケモン』みたいな、戦いがある漫画はダメ。さらに厳格に「婚前交渉禁止」なので、その誘発をしかねない恋愛漫画もほとんど読めない。だから「りぼん」や「ちゃお」は読ませてもらえなくて、小さい頃クラスメートの女の子の会話に混ざれませんでした。

年を重ねた母親はもう漫画に触れることもないでしょうし、私が漫画を描いていることは話してないので、気づいていないと思います。

なにより、エホバの証人の信者は、「世の人」――信者以外のことをこう呼びます――がエホバの証人について書いたものを読んではいけないとされています。だからこの漫画の存在を知ることもないと思います。

新興宗教には、メディアに厳しく目を光らせている団体も多いようですけれど、エホバの証人ではそもそも争うことが禁じられているため、作品や報道に対して、抗議することもありません。政治活動が禁止なので、どこかの政党を応援することもない。

ただし、「奉仕活動」と呼ばれる勧誘だけは熱心に行います。その活動を支えているのは、一人でも多くに正しい聖書の教えを知ってもらい、一緒に楽園に行く仲間を増やしたいという、信者にとって本当の意味での「善意」なんです。それが良いか悪いかはわかりませんが。

 

エホバの証人とは何なのか

エホバの証人の「エホバ(ヤハウェ)」は全知全能の神。イエス・キリストはその息子であり、代弁者である。エホバという神以外は崇拝してはいけません。教えの出典はすべて聖書です。エホバの証人とは、つまり「エホバが正しいと証明する人」ということです。

教えを簡単に言うとこうなります。いずれ来るハルマゲドン(世界の終末)の後に楽園がやってくる。楽園を支配するのはイエス・キリスト。その楽園に行けるよう現世ではエホバの教えに従って生きましょう、というものです。

このハルマゲドンには歴史があって、最初は創始者によって1914年に起きると予言されていました。その年にたまたま第一次世界大戦が起きてしまったので、信者が拡大したんです。世紀末思想や、冷戦の核戦争危機、最近だとミサイル問題などを見て「ハルマゲドンが近い」と信者の人は思うんですね。

ハルマゲドンが起こると、地球が崩壊する。その後、信者らが生き残る。エホバの証人の教えに反対した人たちは生き残れません。だから毎週、地域を訪問して勧誘をするのは、生き残るチャンスを与えるため、彼らを救うため、という理屈なんです。

すみません、よくわからないかもしれませんが、とにかくそういう教えです(苦笑)。エホバの証人では、生きている間の義務は、教えを守るだけ。反対されても、「迫害を受けているのはハルマゲドンが近いからだ」と喜ばないといけません。

信者をたくさん獲得しなさい、とか、いくらお金を収めなさい、とも言われないので、他の宗教とは違って社会問題にならず、「被害者の会」がないんです。

また、教祖はおらず、信者の集いというかたちです。正式名称が「ものみの塔聖書冊子協会」なのもその現れです。だから、権力闘争がないんですね。他の宗教のように、聖書を解釈した人が聖人になる、ということもありません。みんなが聖書研究者と呼ばれています。

自分で選択して信者になっている人に、デメリットはないと思います。実際に、母はすごく幸せそうです。

小さい頃の私が、「ウチって普通じゃないんだ」と気づいたのは、学校に通うようになってからでした。なぜなら、国歌、校歌を歌ってはいけないんです。エホバの証人では「偶像崇拝」が禁じられていますから。

ただ、校歌を歌っていけない、というのは正確ではなく、実際には「エホバの教えに従って、あなたも納得したから、歌わないのはあなたの意思ですよね?」と常に確認させられます。だから、「無理やり命令されているのではない」という論理です。……ちょっとブラック企業みたいですね(笑)。

 

 

入学式の時にはもう、先生に「証言」――聖書の教えに従ってできないということを伝えること――をしないといけませんでした。伴奏が流れても、起立もせず、座ったまま歌わず。周りの生徒は、具合が悪いのかな、程度にしか思ってなかったと思いますけど。

争うことも禁止なので、もちろん運動会も参加しません。誕生を祝うことも禁じられていますし、異教の行事への参加も禁止されているので、ひな祭りや七夕やなどの季節のパーティ、誕生会も不参加です。クリスマスもキリストの誕生日のお祝いなのでできません。

入信するのはこんな人

入信し洗礼――バプテスマといいます――を受けた人には、厭世的で、世の中が嫌になってしまった人が多い。エホバの証人の世界は、争いや政治もない、キレイな世界に見えますから。

エホバの教えを知っている自分たちが賢くて、反対している人は教えを知らない可哀想な人たちだと思っている。だから善意で勧誘するわけですけれど、熱心に奉仕活動をするためには、普通には働けません。

正社員として働いてしまうと活動、奉仕の時間がとれないので、就職しない人が多かったです。だから、パートやアルバイトで生活費をまかなっています。奉仕は時間を報告しなければいけなくて、長く奉仕をしている人には特権が与えられます。奉仕は平日にもあるので、正社員には難しいんです。

私は、高校の時に母に、「本当は全部嫌だったー!」と打ち明け、集会や奉仕などの活動にも行かなくなり、卒業後に正社員として就職しました。就職したことで、エホバの証人から離れたと兄弟姉妹にも認識されたんです。

その時には、「この世が嫌になったらいつでも戻ってきて良いんだよ」という手紙をもらいました。

漫画のことは内緒ですけれど、今も母と連絡はとりますよ。時々連絡が来て、「聖書にはこんないい話があるよ」と紹介してきたり。ありがとう、とは言いますし、気遣いへの感謝はありますけど、その話を読むことは少ないですね(苦笑)。

 

 

「同級生の家への勧誘訪問」

「信者の人が宗教勧誘で自宅に訪問に来る」って、みなさんも覚えがあるかと思うんです。でも、私は「来る」んじゃなくて、「行く」側の人間でした。

それも、自分で「宗教を広めたい」と思っているわけじゃなくて、母親に連れられていくだけでしたから、本当に憂鬱でした。イヤでイヤで仕方がなかった。子どもでしたから、本当は休みの日は絵を描いたり、友達と遊んだりしたかったです。

訪問して話を聞いてくれる人なんて、優しいおばあさんくらいで、ほとんどいません。「お前らは間違っている!」なんて言ってくる挑戦的な人もいるんですけれど、信者の側からすると、「真理がわからないかわいそうな人」なので、何度断られても繰り返し訪問する。嫌がらせとかじゃなくて、親切心なんです。

拒絶されることがほとんどだったのですが、なかには、小さい私がパンフレットを差し出せば、それだけは受け取ってくれる人もいる。だから連れて行かれている面もあったと思います。

どうすればパンフレットを受け取ってもらえるかとか、声のかけ方とか、訪問の練習をたくさんしました。嫌なんですけど、やると大人が褒めてくれるから、子供としては悪い気はしないんです。

漫画にも描きましたけれど、同級生の家に訪問した時は辛かった。ピンポンしたら同級生がいる……あれはキツいです。

信者ではない父が母にお願いして、同級生のいる地域は避けていたんですけれど、ある日「時間が余ったのでここも回りましょう」と訪問することになってしまって……。

チャイムを押して、扉が開くと、そこに同級生がいる。なにか言われるわけじゃないんです。ただ、親御さんの後ろのほうから、「なんだこいつ」という顔で見られる。

学校で何か言われたらイヤだなぁってずっと思っていて、自然と静かになりました。二世信者だからって、学校で、いじめられるわけじゃないんですよ。そもそも低学年の頃は普通じゃなくてもよくわからない。友達もいました。

けれど、自分で自分が「普通でない」と気づいてからは、友達から質問されるのが怖くて、自分から距離を取るようになりました。

いじめられてはいなかったです。クラスメートは「何かおかしいな」と思うと、いじめるんじゃなくて、距離を取るんですよね。まさに腫れ物に触る感じです。たまに仲良くなる子もいましたが、その子も別の宗教の二世で、同じような境遇でした。

競争が禁止されているので、運動会では、騎馬戦や応援合戦に参加できません。偶像崇拝や誕生を祝うことが禁止されているので、行事も休むことがある。信者の子供のなかには、「なんでやらないんだよ」といじめられる人もいたみたいです。

私は誰にも、何にも聞かれないように、一人でいるようになりました。声をかけてくれる優しい子もいましたが、自分で壁を作っていた。図書室にいりびたっていましたね。

母がおしりをムチ打ちする

母にムチで叩かれる

兄弟姉妹(エホバの証人では信者をこう呼ぶ)でエホバの教えを学ぶ集会も、訪問も、正直に言えば行きたくなかった。でも、うっかり教えに反することを口にしてしまうと、母から「おしおき」をされてしまうんです。

この「おしおき」がかなりキツい。ムチで叩かれるんです。

いまは表向きにはしないように、とはなっているようですけれど、私の子供の頃は当たり前におしおきがありました。エホバの証人は聖書原理主義。つまり、聖書の言葉を隠喩とは捉えず、そのままの意味で解釈します。聖書に「しつけにはムチで叩く」と書いてあるから、本当にムチ、正確にはムチ状のもので叩くんですよね。

人によってはベルトだったり、電源コードだったり。うちの母はベルトを2本用意して「細いムチ」と「太いムチ」のどちらにするか選ばせました。細いムチって、痛いんですよ。おしりをムチで叩かれると、完全にやる気を削がれます。服の上からではなく、服を脱がせたうえで直接肌に叩きつけるので刺すように痛い。

ムチで叩かれる前には、何がどうしてダメだったのかを自分で反省させてから、「お願いします」と、自分が納得していることを示します。叩かれた後には「ありがとうございました」と言わなければいけない。でもその行為の後、母は私を抱きしめて、こう言いました。「あなたが嫌いだからじゃないのよ」――。

ここまで聖書の教えにあるのですが……。「どんなムチがいいか」なんて雑談を、集会に来ていた兄弟姉妹がしているのを聞いたことがあります。

ムチで叩かれるのがおかしいと気づいたのは、小学校の中学年の頃です。他の子が親に叱られた話を聞いていると、「どうやら他の家ではムチでは叩かれてないらしいぞ」と(苦笑)。

エホバへの反発

兄弟姉妹は、みんな身なりが清潔で優しい人たちです。子供から見たら、姉妹はキレイなお姉さんたち、という印象でしたね。でもやっぱり、ムチのことも含めて「普通でない」から、だんだんと違和感を抱いていきました。

もともと私が内向的な性格だったせいもあるかもしれません。もしコミュニケーション力が高かったら、エホバの証人のコミュニティの中で関係を作って、ある意味幸せに生きていたのかもしれない。みんな肯定してくれるし、居場所になる。実際に、エホバの証人を辞めた人を私は見たことがありません。

恋愛も、信者の間だけで、外部の人との恋愛は許されません。ただ、内部でも、グループデートでなければいけなかったり、親が付いてきたりなど、かなり厳しい。要は、婚前交渉が禁止されているので、何かが起きないように細心の注意を払う。車で二人きりにならない、スキンシップもダメ。

では早く結婚すればいいかというと、聖書には「成熟した男女が結婚するのが望ましい」と書かれているので、若いうちに結婚するのも難しい。

そもそも、エホバの証人には「ハルマゲドンから生き残って、楽園に行ってから結婚したい」という人が多いですね。子供も楽園で過ごしたほうが幸せなんだ、と。みんな思考が楽園に向かっているんです。

母はもともと潔癖な性格なので、婚前交渉禁止というエホバの証人の教えに共感し、惹かれたのかもしれません。実際に、母は婚前交渉していなかったそうです。

エホバの証人は婚前交渉を禁止していますが、性交渉そのものは「教材」で教えるんです。でも、母はもともと潔癖なせいもあって、性のことはなかなか教えてくれませんでした。

でも、世に性の情報は溢れていますから、子供でも目につきます。むしろ隠されているからこそ、私の興味は大きくなって。エホバの証人の教えへの反発心もあり、性への関心を強めさせました。

高校卒業後は母が体調を崩し、奉仕活動をしなくなったり集会に行かなくなったりしてよくなり、なんとなくエホバから距離をおいていたのですが、それでもなお私には生まれた環境で染みついた縛りのようなものがありました。

だからそれを吹っ切るために最大の反発をしてみました。それが婚前交渉だったんです。

初めての相手は好きでも何でもない、専門学校の先輩。婚前交渉はエホバの証人と完全に訣別するためでした。婚前交渉をしたらもう戻れない、戻らないぞという決意がありました。

終わった後は、正直に言うとモヤモヤしました。普通は初めての経験は大切にするものですよね。本当にこれでよかったのかな――その頃にはもう信じ切っているわけではないんですけれど、「これで楽園にはいけないな。ハルマゲドンで死んじゃうな」と思いました。

教えを聞き続けて育っていますからね。むしろ、「やっと死ねる」という意識が強かったように思います。

そして「解脱」へ…

そもそも、私がエホバの証人との訣別を決めた最大の理由は、「NHKにようこそ!」(滝本竜彦の小説。ひきこもりの青年と、彼を立ち直らせようとする新興宗教の二世信者の少女を中心とした物語)を読んだからです。

実は、その作中にエホバの証人が出てくることは知っていました。この本は読んではいけないことになっていましたから。ただ、たまたま高校の図書館に本が置いてあって、つい読んでしまったんです。

その頃には、自分の環境がおかしいことには気づいていました。でもあらためて「やっぱりおかしかったんだ!」とはっきり分かった。その時はとてもテンションが上っていました。

「もうここにはいたくない!自分の道を歩きたい!」

母に集会に行かないのを咎められた時に、すべてぶちまけました。「本当は全部嫌だった!」って。母からは、「最近変だよ」「昔より頭悪くなったね」「エホバのことがわからないなんて!」など、いろいろ言われましたね。

NHKにようこそ!」に出会えてよかった。あの本を読んでいなかったら抜け出せなかっただろうし、漫画を描くこともなかっただろうし、一生「奉仕」する人生だったと思います。

この漫画には、たくさん反響を頂きました。多かったのが「私もよく分かる」「共感できる」という声です。それって、もちろん皆さんがエホバの証人の信者だからとか、新興宗教の二世だから、というわけじゃない。

この話が、家族の、あえて強めに表現すれば「毒親」の話だからだと思うんです。親との関係に苦しんでいる人が、共感してくださったんじゃないかと思います。

考えるきっかけになれば…

エホバの証人を信じていても、洗礼〈バプテスマ〉の儀式を受けるまでは、聖書を研究している「研究生」と呼ばれます。母が研究生になったのは、私が幼稚園の頃で、洗礼を受けたのは私が小学5年生の頃でした。私自身は、納得してから良いという理由で、バプステマは受けていないんです。

父は信者ではなく、母が信者になるのを止めなかった。母が私を集会や勧誘に連れ出すのを見ても、何も言わなかった。母親に縛られる「毒親問題」には、父親の無関心がある事が多い。そのあたりも似ているのかと思います。

じつは、私の祖父母もエホバの証人と別の新興宗教に入信していて、母も二世だったんです。

それも、母がエホバの証人に入信した理由の一つだったんだと思います。母が祖母にエホバの証人の研究生になったことを報告したら、勘当されたそうです。ただし祖父は、私のことを心配し、その後に態度を緩め、我が家に来るようになりました。

子どもの頃の私を、唯一助けてくれようとしたのはそんな祖父でした。本当は奉仕活動をしなきゃいけない休みの日をあえて狙って私を連れ出してくれたりして。だからこそ、祖父の葬儀で、エホバの証人の教えのせいでお焼香もあげられなかったのは辛かった。

「しちゃダメ」ではなくて、「自分の意思でしないよね?」と言われているので、自分で選んでお焼香しないことになる。本当に悲しかった。荼毘に付されている煙を見ながら、心の中で「ごめんなさい」と「ありがとう」を伝えました。

私がこの漫画を描いたのは、決して信仰の自由やエホバの証人を否定したいわけではありません。菜食主義や政治思想などと同様に、各人がどういう主義でどういう生活をするのも自由だと思います。

ただしその家に生まれ、その生活を強制された子は、それが「普通」になってしまうということです。子どもは、親も家庭での生活も選べませんから。

そしてその子は、世間の「普通」とのずれを認識したときに、多かれ少なかれ戸惑いや孤独を感じることもあるということを知ってもらいたかったのです。

漫画を読んでいただくのは本当に嬉しい。でも、読む人にとっては辛い話だと思うんです。自分の環境に当てはめて、共感しすぎたり、過度な不安を抱えてしまったり。だから、読める人だけ読んでほしい。

宗教の自由は認められるべきだと思うのですが、子供にそれを強制することには、考えなければいけない問題があるのではないかと思っています。この漫画を読んでくださった人が考えるきっかけになればと思っています。