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いじめは謝罪で終わるという解釈にモノ申す

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被害者は苦しみ続ける → 90.6%

 

2017年10月に文部科学省が発表した「2016年度のいじめの解消率」である。この数字を見て、「ほとんどのいじめは解決するものだな」と安心した読者もいるだろう。しかし、残念ながら実際の解消率はもっと低いと私は考える。

そもそも初めて「いじめ解消の定義」が確立されたのは、2017年1月のこと。2016年時点では特に指標がなかった。つまり冒頭に紹介した数字は、いじめが解消したかどうかを学校の判断に委ね、その報告内容を元に文部科学省によって算出されたものである。

前回記事でも述べたように、学校はいじめがある事実を不名誉と考える。そんな学校が正確な数字を報告していたかどうかは疑わしい。

「いじめ解消の定義」に問題アリ

では、いじめ解消の定義が確立した現在なら、より正確な数字が算出されるかというとそうでもない。2017年1月に文部科学省が定めた定義は、以下のとおりである。

―いじめ解消の定義とは―
① いじめに係る行為が止んでいること(少なくとも3カ月が目安)
② 被害児童生徒が心身の苦痛を感じていないこと

いじめの現場に足を運んで調査する人間としては、この定義では「問題がきちんと解決されていない事案まで、解決扱いにされるのではないか」と危惧している。

というのも多くのいじめは、3カ月やんだ後に再開する場合もあれば、行為がやんだにもかかわらず被害者の心身の苦痛が消えない場合もあるからだ。

これは以前、私のところに相談にきた女子中学生の話である。彼女は同じ学校に通う男女のグループから、暴力を伴ういじめを受けていた。ある日、加害者のひとりである男子生徒から、突然背中を蹴られた彼女は壁に頭をぶつけ額を切ってしまった。

流血ざたにもなったせいか、学校側もこれにすぐ対応した。被害者である彼女と、加害者である男子生徒、教師の3人で謝罪の会が開かれた。加害生徒に反省の様子が見られたので、学校側はこのいじめの問題は「無事、終結した」と判断した。

ところが、学校からいじめは終結したと判断された後も、彼女は精神的な苦痛からは解放されなかった。いじめを受けたことで、そのときの記憶が急に蘇り、その影響から動悸やめまいに悩まされるようになったのだ。ひどいときは、彼女の背後に誰か人が立つだけで「また蹴られるかもしれない」と恐怖をいだき、しゃがんで膝を抱えてしまうという。

行為がなくなったとしても、被害者は決して解放されるわけでない。まだ問題が解決していない事実を知らせるべく、私は学校側に電話した。しかし、学校側の反応は「謝罪の会も済んだし、いじめのない状態が3カ月以上続いている。だから、問題ない」という冷たいものだった。その後も相談者の彼女は精神的苦痛に悩まされ続けたが、結局、学校側は最後まで何もサポートしてくれなかったという。

こうした「謝罪の会を経れば、いじめは終結した」と考える学校は多い。これまで5000件近くのいじめの相談を受けてきたが、謝罪の会が開かれて以降、学校側から何かしらのサポートを受けたという相談者はほとんどいなかった。

「いじめ解消の定義」を見直すべき

そもそもこのいじめの解消の定義ができたのは、2016年8月、青森で中学2年の女子生徒がいじめを訴えて自殺したのがきっかけであった。この事件では学校側が、加害生徒たちを注意した時点でいじめは解消したと判断した。しかし、実際はその後も悪口や無視などの行為が続いており、女子生徒の自殺という最悪の結末を迎えてしまった。それを踏まえて、いじめ解消を学校側が安易に判断しないようにするために作られたわけである。

しかし現行のいじめ解消の定義だと、さきほど紹介したようなトラウマに悩まされ続ける子どもの事例まで、解決扱いにされてしまう可能性がある。

前述の背中を蹴られた女子中学生の場合、理由もなく突然蹴られたために、背後に人の気配を感じると恐怖するようになってしまった。高校に進学したら電車通学は避けられないが、閉所で人に囲まれるのは彼女にとって大きな苦痛である。それを解消するために現在は専門医のところへ通い、リハビリをしている。

文部科学省は、「被害者はいじめが収まった後でも、その後遺症に悩まされ続ける」という事実を考慮して、定義の改善に努めてほしい。被害者の後遺症が解消されないかぎり、本当の意味で「いじめが解消した」とは言えない。

そして誤った判断をした学校側には、何かしらペナルティを課したほうがいいのではないか。現状、学校がいじめの解消について誤った判断をしても、ペナルティは何もない。このままでは、いじめを解決に導いてくれる学校が増えないのは明らかである。

また、いじめ解消の判断をする機関を生徒が所属する学校ではなく、第三機関に委託したほうがいいと筆者は考える。

いじめ解消の定義はまだできたばかりのものだ。今後、研究が進み、より適切な指標や被害者のみならず傍観者まで配慮された定義に成熟していくことを期待する。