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カレー事件死刑囚の息子、逃れられないいじめの十字架

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パレードカーに乗り込んだミッキーマウスが沿道に詰めかけた大勢の家族連れに向かって手を振っていた。今年5月の「こどもの日」に、和歌山城和歌山市)周辺で催されたディズニーキャラクターによるパレードのにぎやかな光景をトラック運転手、林和久さん(30)=仮名=は、ただ一人、車窓から複雑な表情で見つめていた。

 和久さんの母親は平成10年に起きた和歌山の毒物カレー事件の容疑者として逮捕され、死刑判決が確定した林真須美死刑囚(57)だ。事件以降、和久さんの人生も一変した。預けられた児童養護施設ではいじめを受け、給食のカレーに乾燥剤を入れられたこともあった。施設を出てから働いた飲食店では「衛生的に良くない」と一方的に解雇されたという。

 温かい家庭など望むべくもないと思っていた和久さんを一度は死刑囚の息子であることも含めて受け入れてくれた女性もいた。結婚の約束を交わしていたが、その父親に身の上を打ち明けると表情を一変され、「二度と近づかないでほしい」と告げられた。女性とも連絡は取れなくなり、婚約は破談となった。

幼い頃の暮らしは贅沢だった。「これ、見てみろ」。父の健治さん(73)は上機嫌でこう語ると、ボストンバッグの中から帯封がついたままの札束を無造作に取り出し、和久さんら子供たちに見せつけた。自宅の金庫には数億円があり、部屋には高価なアクセサリーがあふれていた。和久さんらには当時、最新のゲーム機だった「セガサターン」や「ニンテンドー64」が何不自由なく与えられた。

 

異様な生活の原資は保険金詐欺で賄われていた。健治さんはシロアリ駆除の仕事をしていたことがあって薬剤の知識があり、昭和63年ごろに自らヒ素をなめて高度障害の認定を受けることで約2億円の保険金を手にした。その後も保険外交員だった真須美死刑囚とともに詐欺を繰り返した。

 「『これぐらいだったら心配ない』という分量が分かっていた」と話すのは現在も同市内で暮らす健治さん。健治さんは、当時ヒ素を「仮病薬」と呼んでいたという。

 だが、ヒ素が悪用されたカレー事件の捜査で、ヒ素と接点があったこの夫婦が浮上。さらに真須美死刑囚は事件当日、カレー鍋の見張りをしていたことから「疑惑の主婦」としてメディアに追われる存在となった。

 「ママがやったん?」。当時、小学生だった和久さんはこう尋ね、「やるはずがない」と否定されたこともあった。両親が逮捕されたのはカレー事件の約2カ月後。母が和久さんに「絶対行く」と約束していた運動会の当日だった。

「ボクちゃーん」。今年6月、大阪拘置所大阪市都島区)でアクリル板ごしに和久さんと面会した真須美死刑囚は、手を振りながら陽気な声を上げた。だが、声とは裏腹に事件当時、ふくよかだった体型は体重が40キロも落ちたという。髪もすっかり白髪となり、上の歯は全て抜け落ちていた。

 和久さんはこれまでも年に1回ほど真須美死刑囚との面会は重ねてきた。時間は限られており、ほとんどは子供のころの思い出話や他の家族の近況などの話題が大半だったが、今回の面会ではカレー事件の真相について尋ねることを決めていた。和久さんは真須美死刑囚をまっすぐ見つめ、「カレー事件のことだけど、本当にやっていないの?」と切り出した。

この質問に真須美死刑囚は、驚いたような表情を浮かべたが、和久さんを見つめ返し、「やっていない。やる意味がない」ときっぱり答えたという。

 話題は、平成11年から始まった和歌山地裁での公判での態度にも及んだ。当時、真須美死刑囚が傍聴席に向けて時折不敵な笑みを浮かべていたことに被害者や遺族からの批判の声が上がったが、真須美死刑囚は「(和久さんたちに)元気だと伝えたかった」と釈明。その一方で、和久さんら子供4人に対して申し訳ない気持ちがないかを尋ねると「その質問が来るのが怖かった」と声を震わせたという。和久さんは死刑囚として目の前にいる人が自分の母なのだと感じざるにはいられなかった。

 真須美死刑囚は事件から一貫して無実を主張し、死刑判決の確定後は再審を求め続けている。和久さんは事件後の境遇から真須美死刑囚を恨んだ時期もあったが、現在は「母が『やっていない』と話す以上、家族としては信じたい」と思うようになった。

 

だが、母を擁護することは、カレー事件で大切な家族を失った遺族や被害者に苦悩を抱かせることにもつながると考えているという。「母を信じたいという思いもあるが、それが、ご遺族の気持ちを踏みにじっているのではないかという苦しみは消えない」。そう葛藤をにじませた。