霊界と現世の間で起こった実話「いじめエピソード」
29歳になった 諭司さんは、
どうしても罪の意識を覚えずにはいられなかった…
脳研究者・池谷裕二の著書『脳には妙なクセがある』によれば、人が視野の左半分を重要視する一方で右半分を無視する傾向を《シュードネグレクト(疑似無視)効果》と呼ぶのだという。
具体的にどんなシチュエーションが考えられるかというと、たとえば誰かがあなたを見ているとしたら、その人の左視野に入りやすいあなたの右側の方が注目されていることになり、左側は比較的、無視されている。
また、たとえば、商品の陳列棚は左の方がお客の視線を惹きつけやすいから、左端に置かれた品物はよく売れる可能性がある。
こんな風に例を挙げていったらキリがないが、とにかく、人間にとって左側か右側かということは単なる配置ではなく、深い意味を持つようだ。
似たような学説は以前から動物行動学や深層心理学などでも唱えられている。曰く、人は両側に壁がある通路では左側を歩くことを好む。曰く、庇護したい相手を自分の左に、頼りにしている相手を自分の右に並ばせたがる。左側から接近するものを無意識に警戒する傾向も人類共通なのだという。
29歳の会社員、清水諭司さんは、ある夏、いわゆるモノモライをこじらせて手術を受けた。
後から思えば、膿を出せば治るのではないかと思い、瞼を裏返して爪でつねったのが良くなかった。その後、いつも眠気覚ましに使っている刺激の強い冷感タイプの目薬をさしたことも、判断を誤ったと言うべきかもしれない。
そもそも、左の下瞼にしこりがあることに気づいてから2週間も放っておいたのがまずかった。
夜、爪で患部を弄ったら、一晩のうちに面白いほど腫れあがり、上司から「今すぐ病院に行け」と命じられてしまったわけである。
諭司さんは社会人になってから一度も医者にかかったことがないことを自慢にしていた。しかし実は単なる医者嫌いで、よほどのことがない限り病院に行かなかっただけなのだった。
上司の命令とあっては仕方がない。会社の近くの眼科病院に行って診てもらったところ、手術を勧められてしまった次第である。
いわゆるモノモライの類には違いないが、諭司さんが罹ったのは霰粒種(さんりゅうしゅ)といって患部に脂肪が溜まる病気だった。これに罹ると、薬だけでは治らないことが多い。しかも彼の場合は、脂肪の塊が固い肉腫になって結膜側に突き出しているので、このまま放置すれば眼球を傷つける可能性もあるという説明を医師から受けた。
結膜側と皮膚側を少しずつ切って患部を除去し、6日後に抜糸することになった。
手術が終わって看護師に眼帯を着けてもらうと、当然のことだが、左側の視界が欠け落ちた。世界の左側がブラックアウトして、視野が半分になった。
「明日になったら眼帯を外しても構いませんが、抜糸するまでテープを剥がさず、患部に触らないようにしてくださいね。内出血の痣や腫れが気になると思いますから、人前に出るときは眼帯された方がいいかもしれません」
眼帯は初めてだと言うと、遠近感が掴みづらいので段差に気をつけるようにと看護師に注意された。
しかし、まずは視界の狭さに戸惑った。
ただ見える部分が減っただけではない。すぐに、黒く塗りつぶされた自分の左側に厭な不安感が渦を巻いているような心地がしてきた。
さらには、病院の会計を済ませる頃には、それが人の形を取りはじめた。
――左側に誰かいる。
もちろん気のせいだ。その誰かというのが自分の胸ぐらいの背丈で、どうやら子どものようだということを含めて妄想に過ぎないと諭司さんは冷静に考えようとした。苦手な病院に来て、初めて外科手術を受け、眼帯も初体験。だから自覚している以上に強い不安を感じていて、そのせいで変な幻想を抱いてしまうのだろう……と、合理的な枠から思考がはみださないように努めた。
しかし、眼科病院の建物を出る頃には、左横の子どもの顔つきまで思い浮かぶようになってしまった。
頬が丸く膨らんだ、下がり眉の男の子。硬そうな直毛をスポーツ刈りにして、むっちりと肉の詰まった体つき。なんとなく柴犬を想わせる風貌の子どもだ。
――圭くんなのか?
横断歩道で青信号を待つ間に、心の中で問いかけながら左側を振り向いた。
誰もいない。いるわけがなかった。
前を大型 トラックが通りすぎた。
諭司さんは、子どもの頃に体験した、とある出来事を思い出さずにはいられなかった。
横浜という所は昔から人口の多い、開けた土地だったが、平成時代に入り急速に郊外の宅地開発が進展した。
清水諭司さんの実家も横浜市郊外の新興住宅地にあり、土埃が立つ造成地と大型 トラックや工事車両が彼の原風景になった。幼い頃は、近所でいつも工事をしていて、ヘルメットを被った作業員を見かけない日はなかった。
圭くんは、諭司さんの家の斜め向かいに住んでいる同い年の男の子で、母親同士が親しかったことから自然に仲良くなった。物心つく頃にはもう一緒に遊んでおり、同じ幼稚から同じ公立の小学校にあがった。自転車はお揃いで、同じデザインの運動靴を履いていた時期もある。
5歳くらいまでは、圭くんの方が諭司さんより体が大きくて気が強かった。だから小学校に入学してから圭くんがいじめられがちになったのは、初めはとても意外なことに思われた。
確かに、圭くんは学校の成績が悪かった。字の形が覚えられず、いつも計算を間違った。劣等感が彼の表情を暗くした。
だからと言って、いじめられていいはずがないけれど……。
幼稚園の頃、圭くんはいつも諭司さんの右側にいた。圭くんの方がリーダー格で、遊びを仕切っていた。「うちでゲームをしよう」と圭くんが言えば、諭司さんは従った。それで何の不満もなかった。
しかし小学生になると2人の関係性は少しずつ変化して、いつの間にか諭司さんが圭くんを引っ張る雰囲気になってきた。気がつけば、圭くんは諭司さんの左側に付き従っていた。気の利いた提案をするでもなく、遊びに誘えば乗ってくるが、自分から愉快なことを仕掛けてはこない。
そんな受け身な性格の圭くんを物足りなく感じだした小2の9月のこと。二学期の始業式があった日の帰り道で、諭司さんは圭くんから走って逃げたのだった。
圭くんは何も悪くなかった。
ただ… いつも…
一緒に登下校する習慣だった。ただいつものように諭司さんと帰ろうとしただけだ。1年生のときからずっと同じクラスで、いつも2人でつるんでいるのが当たり前になっていた。どちらかが先に勝手に帰ってしまうなんて、それまではありえないことだったのだ。
けれども諭司さんは、帰り支度が遅い圭くんを待っているうちに、Aくんに話しかけられたのだ。
夏休み中に 家族で行ったゲームセンターで、同じように両親と来ていた隣のクラスのAくんと偶然出会い、一緒にクレーンゲームやシューティングゲームをした。Aくんは頭の回転が速く、物知りで、話が面白かった。自発的で、物怖じしない性格でもあった。何もかも圭くんとは大違いだった。その後、双方の親が打ち合わせをして、連れ立って市営プールに行ったり映画を観たりしたので、諭司さんとAくんとは一気に付き合いが深まっていた。
そんなことになっているとは、圭くんには知る由もなかったのだけれど。
でも、諭司さんはAくんが自分の教室にやっていて「一緒に帰ろう」と誘ってきたとき、反射的に「うん」と答えてしまった。
このとき圭くんが何か言ってくれたら、自分は振り向いたかもしれないと諭司さんは思う。圭くんも入れて、3人で下校していたら、どんなにか良かっただろうか。
しかし圭くんは無言だった。そこで諭司さんは圭くんに背を向けて、Aくんと2人で廊下を歩きはじめたのだ。
そしてすぐにAくんとの会話に夢中になった。圭くんがずっとついてきていたことに気づいたのは、Aくんと別れた直後だった。
諭司さんの家より、Aくんの家の方が学校に近かった。Aくんに「またね」と言ったとき、なんとなく気配を感じて振り向いたら、20メートル以上後ろに離れたところに圭くんが居て、恨めしそうにこっちを睨んでいた。
諭司さんは慌てて逃げた。
「諭司くぅん! 待ってよぉ!」
走っていると、幼い頃から聞き慣れた声が後ろから飛んできた。
「諭司くぅん!」
何度も呼ばれたけれど、諭司さんは家まで一度も振り向かなかった。
圭くんが大型 トラックに轢かれて死んだことを知ったのは、
自分のうちの玄関に飛び込んでからたった、1時間後のことだった。
――あの圭くんが、左側にいるような気がする。
諭司さんは、急に圭くんの記憶を異常なまでにありありと蘇らせた理由を考えあぐねた。誰かに相談したかったが、こんなことを打ち明けられる相手と言ったら、両親しか思い浮かばない。
普通は、いい歳をして馬鹿らしい妄想を膨らませる、と、嗤われるようなことかもしれない。しかし両親には、真面目に取り合ってもらえるだろうと予想した。
圭くんが死んだ後の彼の苦悩を知っているのは、父と母だけだったから。
手術当日と翌日は有給を取っていたので、手術の明くる日、会社を休むついでに両親に会いに行くことにした。
思った通りで、父も母も、真剣に話を聞いてくれた。母は即座に、「圭くんのお墓参りに行きましょう」と宣言した。
「考えてみたら、もうすぐ命日よね? 再来週?」
「言われてみれば……。すっかり忘れてたよ」
「頑張って忘れたんだよ」と母が言うと、父もうなずいた。
「そうだよ。圭くんの事故の後、諭司は心療内科や精神科に半年も通って……。最初は大変だったじゃないか。胃潰瘍にまでなって。それがある日突然、圭くんのことを一切口に出さなくなったから、お母さんと話し合って、あえて思い出させるようなことは言わないようにしようと決めたんだ」
「……そうよ。だから、圭くんのおうちがすぐに引っ越されたのも、諭司のためには良かったなと思っていたの。申し訳ないけど、それがお母さんの本音」
「ああいう交通事故は誰のせいでもないんだよ。諭司のせいじゃないし、圭くんのせいでもない。轢いた トラックの運転手はもちろん不注意だったんだが、急に子どもが飛び出してきたわけだから、運が悪かった面もある」
――だけど死んだのは圭くんだけじゃないか!
諭司さんは、どうしても罪の意識を覚えずにはいられなかった。いや、久しぶりに後悔をぶりかえらせたわけだが……。
小2の二学期から小3の初め頃まで、記憶が飛んでいる。医者嫌いの原因は、おそらく、心因性の胃潰瘍になって治療中も散々苦しんだ経験がトラウマになったせいだ。
圭くんの友情を裏切り、走って逃げた代償はそれなりにあった。
しかし、自分は生きている。そして、今、忘れていた罪を思い出している。
「そうだわ! 諭司がモノモライに罹ったのって、ちょうどお盆の頃だったんじゃないの? 圭くん、お盆で帰ってきたのかしら?」
「お母さん、よしなさい。もうとっくに成仏してるよ。諭司も、あまり変な風に思い詰めるものじゃない。罪の意識がそういう幻覚を見せているだけなんだから。
思い出しても心が壊れないぐらい、大人になったってことだよ。
時が来た。だから思い出した。それだけだ。
圭くんの墓参りに行って区切りをつけよう」
その夜は実家に泊まった。
実家に来ると、以前自分が使っていた2階の部屋で寝る習慣だった。前回の訪問まではまったく気にならなかったのだが、この部屋の窓からは、道路を挟んで斜め向かいの圭くんの家がよく見える。
正確を期すなら、昔、圭くんが住んでいたが、今は知らない人たちが暮らしている場所ということになるが。家も建て替えられているはずだ。
けれども、その夜は、黒っぽいスレート葺きの屋根にクリーム色のモルタルの壁が見えた――圭くんの家だった。
なぜかはわからないが、驚きは薄かった。驚愕する代わりに、ふと20年以上前の景色を想い起した。
小1になったばかりの頃、帰宅してすぐ2階の子ども部屋から圭くんの家の方を見たら、圭くんも同じように2階の窓から顔を突き出したから、手を振り合ったのだ。
そんなたわいもないことが、たまらないほど楽しくて、しばらく毎日やっていたけれど、いつの間にかやらなくなった。
――たぶん僕から止めたんだ。
悲しい気持ちで窓から離れた。ベッドに入ると、左側に子どもが寝ている気配が次第々々に強まるのを感じた。
恐る恐る左手を横に伸ばしてみて、何も触らなかったことにホッとした。
翌朝、窓から斜め向かいの家を見てみたら、まったく違うモダンな建築の家になっていた。
土曜の夜は自宅マンションに帰ったが、
やはりベッドに横になると左隣に子どもが寝ているような気がした。
朝になると、タオルケットが左側に引き寄せられていて、辺りにうっすらと子どもっぽい体臭が漂っていた。
日曜日には、左腕にそうっと触られて、寝入りばなを起こされた。
「圭くんなの? そこにいるんだろ?」
思わず振り向いて問いかけたが、返事はなかった。
――もしかすると、圭くんはあの日、死ぬのと同時に、走って逃げる僕に追いついたんじゃないか? そしていつもみたいに僕の左に並んでいたのでは?
この現象を指して「罪の意識がそういう幻覚を見せている」と諭司さんの父は解説した。
昨日、それを聞いたときには、かつて掛かった心療内科や精神科の医者が言いそうなことだと諭司さんは感じた。封じていた後悔の念が幻覚を生むというのは、常識で許容できる範囲内だとも思われた。そして、このような、常識的な現代人らしい考え方にこだわりたいと、こだわるべきだと考えたのだった。
しかし、日々刻刻と左側の子どもは存在感を増していく。
ベッドから下りて洗面所へ行き、鏡を見ると、自分の左側はただの空間だった。そこに圭くんが存在している感じは依然としてあるのだが。
――眼帯を外したら、圭くんの気配も消えるのだろうか?
それまでは無意識に傷に触ってしまうのが怖くて、寝ている間も眼帯を着けていたのだ。しかし明日は抜糸する予定だ。もう傷口は塞がっているだろう。
諭司さんは鏡を見ながら眼帯を外してみた。
途端に開けた視界の左側に……いた。
8歳のままの圭くんが佇んでいた。鏡越しにこちらを見つめている。無表情だ。
諭司さんは震える手で再び眼帯を着けた。すると、鏡の中の圭くんは消えた。しかし、立ち去ってくれたわけではなかった。
左腕を下にさげると、掌の中に手がするりと滑り込んできた。氷のように冷たくて、小さな手が。
実話怪談『僕の左に』
月曜日には、会社の休憩時間を利用して眼科で抜糸してもらった。
「治りが早いですね! もう眼帯は必要ありません。まだ内出血の痕が目立ちますから着けても構いませんが……。霰粒種は初めてなんですよね?」
「はい」
「しょっちゅう出来る体質の人がいるんですよ。清潔を保つことと栄養バランスがとれた食生活を送るように心掛けてください。あとは睡眠! よく眠ることが大事です」
まさか、ここで幼馴染の幽霊につきまとわれているせいで安眠できないとは言えない。しかも眼病がきっかけでそうなったなどと話したら、精神科に行けと言われるのがオチだ。
眼帯を着けて会社に戻った。仕事をしながら、完治しても圭くんが去らなかったり、或いは頻繁に霰粒種が再発してしょっちゅう今のような状態に陥ったりする可能性を考えて、怖くなった。
今週末に圭くんの墓参りに行くつもりだったが、果たしてどうなるか……。
会社に戻ると、上司から「どうだった?」と訊かれた。
「抜糸しました。もう眼帯は必要ないそうです。ただ、アザになっていて見苦しいので、仕事中は着けていようと思います」
「取引先の人に会うとき以外は外していても構わないよ。わずらわしいだろ? ちょっと見せてみろ」
諭司さんは「はあ」と答えて眼帯を外した。恐々と足もとに視線をさまよわせると、左側に、運動靴を履いた子どもの足が見えた。
「うわぁ。痛そうだな! 殴られたみたいで、穏当じゃないなぁ」
「もうしばらく眼帯しておきますよ」
眼帯を元に戻すと、視界から圭くんが消えた。気配は残っている。
トイレに立ったときに鏡の前で眼帯を外してみたら、横に圭くんがいた。鏡に映り、振り向くと実際にも自分の目には見える。
「おつかれさま」と同僚がやってきて、圭くんのそばを通って小便器の方へ行った。……他の人には見えないのだ。
「メバチコ、僕もなったことがありますよ。そこまで酷くならなかったけど」
「外側を切りましたから、痣がね……」
「デスクで作業しているときは外していてもいいんじゃないですか? みんなすぐに見慣れると思うし……アザより眼帯の方が目立つかもしれない」
確かにそうかもしれないと思った。圭くんの姿にも慣れてきた。初めの頃ほど恐ろしく感じない。「いるな」と認識するだけになりつつある。
その日から、通勤のとき以外は眼帯を外すようになった。
自宅でも圭くんを視界に入れながら生活しはじめた。時折、子どもと同居しているような気持ちがして、怖さが薄れると共に、圭くんに話しかけるようになってきた。
朝食のトーストを食べているときに、「圭くんも食べる?」とか。風呂に入っているときに、「服を脱がないの?」とか。
しかし圭くんはいつも表情が無く、声を発することもなかった。衣服や靴も常に同じで、最期の日の姿を再現しているようだった。
金曜日に、母と電話で圭くんの墓参りの段取りを決めた。
「目の調子はどう? 圭くんの幽霊は、まだ居るの?」
「うん。今も横にいる。もう慣れちゃった。目の方は、だいぶ良くなったよ」
「……諭司はお葬式以来ね。圭くんのお寺に行くの。お母さんとお父さんは三回忌まで行ったけど」
初耳だった。
「えっ! そうなの?」
「思い出させないようにしてきたと言ったでしょう? 諭司の病気がぶり返さないように、ずいぶん気をつかってきた。……なぜ今なのかしらね?」
「僕だって知りたいよ。あれから20年近く経つけど、今までずっと僕の左隣にいたのかな?」
「そういえば、昔、諭司が入院したときに不思議なことがあった。相部屋になった患者さんのご 家族から『ご兄弟ですか?』と話しかけられたの。『えっ?』と訊き返したら、『すみません。勘違いでした』と言われて、それっきりになってしまったんだけど、もしかしたら、霊感がある人だったのかも……。諭司のそばに圭くんがいるのが見えて、兄弟が付き添っているのかと思ったんじゃない?」
「そうかもしれないね。そんなことがあったんだ」
「当時は圭くんのお葬式の直後で、諭司は凄く混乱してたから何も憶えていないと思う。でも、すっかり調子が良くなった後にも……。中学生の頃、家族で外食したときに、コップの水がひとつ余計に出されたことがあったよね? そのとき諭司は『幽霊だ!』と笑ってはしゃいでた。だから、ああ、もうすっかり圭くんのことを忘れているんだなと思って、安心したことを憶えてる」
「僕たち、エゴイストだね」と諭司さんは苦笑いして、圭くんに視線を向けた。
「しょうがないよ。自分の子どもがいちばん大切。一時は、圭くんに引っ張られて諭司が死んじゃうんじゃないかって、凄く心配したんだから……」
このときも、圭くんは、電話で話している諭司さんを静かな顔で見上げていた。
「そんな怖いことをしそうな幽霊じゃないよ」と諭司さんは言った。
9月初旬、圭くんの命日直後の土曜日に諭司さんは両親と共に墓参りをした。
母が事前に、霊園を管理している寺院の住職に相談しておいてくれたので、墓参の前に寺の本堂で読経してもらい、その後、住職と話をすることが出来た。諭司さんは迷った挙句に、圭くんの幽霊については伏せて、ただ、最近になって急に思い出したのだと話した。
すると住職は、「少し驚かれるかもしれませんが」と前置きして、数ヶ月前に圭くんの母親が亡くなったのだと諭司さんたちに告げた。
「これからお墓に参られましたら、是非、お母さまにもお花を手向けてください」
諭司さんの両親もこのことは知らなかった。衝撃に、心持ち青ざめながら、母が住職に訊ねた。
「私たちと同世代で、まだ亡くなるようなお歳ではないのに、なぜ……?」
「詳しいことは存じ上げないのですが、ご病気だったそうですよ。長く患っていたので、これでようやく楽になりました、と、ご主人がおっしゃっていました」
「では、今年が初盆だったのですね?」
「そうですね。しかし、何か事情があったのか、どなたもお見えになりませんでした。毎年必ずご両親お揃いでいらしていたので、少し心配しております」
「そうですか……」
驚きが冷めやらぬまま、住職に導かれて霊園を歩いた。
圭くんの家の墓が見えてくると、諭司さんは歩きながら左手を横に伸ばした。冷たい手が掌に滑り込んできて、自分の指と細い指を絡め合わせてきた。
――圭くんと手を繋いだのは幼稚園のとき以来だな。
「諭司」と後ろを歩いていた母に小声で呼ばれた。振り向くと、母が怯えた表情で圭くんの方を見つめていた。
「そこに白い影が……子どもの形で……あなたと手を繋いで……」
「白い影?」
諭司さんは眼帯を外して、圭くんを見下ろした。圭くんは、生きていたときと変わらない、健康的な男の子の姿をしていた。
「お母さんにはそう見えるんだね」
しかし不思議なことに、お墓の前に来ると、圭くんの姿は白っぽく薄れてきたのだった。
諭司さんは手を合わせて圭くんとその母を悼み、冥福を祈った。
目を閉じると、幼い頃に圭くんと過ごした楽しい想い出ばかりが次々に頭に浮かんだ。
最後に心に映ったのは、子ども部屋から見た夕焼け空と圭くんの家。
2階の窓から圭くんが手を振っている。
――バイバイ、圭くん! バイバイ!
目を開けたとき、圭くんの姿は消えていた。
眼帯を着けても気配が感じられなかった。
自分の左側にはあるのは虚しい空間でしかなく、諭司さんは喪失感を覚えた。
涙が溢れてきた。彼は子どものように泣きじゃくった。