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いじめ対応の記録が破棄

学校での「いじめ」対応の不適切さが報道されることが多くなってきている。自殺(未遂を含む)や不登校になると、現在は、いじめ防止対策推進法で「重大事態」とされ、調査されることがある。ただ、元の資料が保存されなかったり、資料の情報が事実誤認の場合も少なくない。そのため、当事者の子どもや保護者が納得しないケースも出てくる。都内の公立小学校に通っていたAくんのケースもそうだった。母親に話を聞くことができた。

授業中に教師がいてもいじめが行われた

 母親によると、Aくんは小学校3年生後半からいじめを受けていた。内容はからかい、嫌がらせ、仲間はずれ、ものを隠される、暴力を振るわれるなど。わざとぶつかられたり、物を投げられたりすることも頻繁にあった。

「いじめはクラスだけでなく、学年全体に広がっていたんです。遊んだこともない、通りすがりの子からもいじめを受けていました。特にひどくなったのは、5年生後半から。授業中に教師がいてもいじめが行われました。事実上、教師公認でした。この頃から、子どもの体調に影響が出始めました。いじめ対応について担任には強くお願いをしたんですが、何もしてもらえませんでした」

 母親が担任教師にお願いをしても、指導どころか、逆に「過保護ではないか」「子どもを強くしたくないのか?」と言われてしまったという。子どもが自ら「(いじめを)やめて!」と言っても、児童間のトラブルとされたために、給食を食べさせなかったり、授業に参加させないという“罰”が与えられたりした。

「子どもは被害を受け、興奮して担任に訴えたようですが、気持ちを聞いてもらえなかったようです。むしろ、排除されたような感じだったのです。そのため、心身ともに疲れていました」

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スクールカウンセラーに相談するも……

 5年生の秋、個人面談でも担任にいじめの指導をお願いしていた。母親としては「いじめられるのは自分が悪いから、という思いをさせたくない」と思っていた。Aくんも頑張ろうとしていた。しかし、逆に、授業中を含め、周囲から茶々を入れられる。学校生活が難しくなってきていた。

 6年生になった5月ごろ。Aくんが帰宅し、玄関で思い切りランドセルを投げつけ、「くそ!」と言って、涙を流すことがあった。泣いたり、わめいたり、数時間、母親が話を聞かなければ治らないことがあった。6月後半には頻繁になっていった。

 それまでにも、スクールカウンセラー(SC)に母親から、いじめのことやAくんの苦しみを伝えた。しかし、いじめが止むわけではない。学校には2人のSCがいたが、11月に相談したときには、このうちの1人に相談の途中で寝られたこともあった。

担任は「いじめじゃなく、喧嘩ですよ」

 都の教育相談に問い合わせると、「区教委に連絡したほうがいい」と言われ、区教委に電話をすると、「校長と話し合ってください」と言われた。夏休みが近づいていた時期だったこともあり、夏休みの行事が終わる8月下旬に校長との面談を設定した。

 面談当日。校長と担任、母親の3人が校長室で話し合うことになった。開口一番、校長が「お子さんが学校に来たくなければ、もう来なくても良いです」と発言した。続いて担任はにこやかに「いじめじゃなく、喧嘩ですよ」と話した。校長も「今の子どもたちは体でぶつかり合うことが少ない。どんどん喧嘩させましょう」と担任を擁護した。そして、子どもの心理やフリースクールに関する書籍を渡された。夏休み明けの保護者会で話題にすることをお願いしたが、拒絶された。

 このため、夏休み明けも、いじめの状況は変わらない。登校しては休みの繰り返し。10月には運動会があったが、その前日も休んだ。学校での様子について報告してくれるよう担任や副校長にお願いをしていたが、校長は、面談後、一切、取り合わない。

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「様子がおかしい」と思い、母親が担任に電話した。「なんとかしてほしい」「相手の親御さんに伝えてください」「学校の中で、子どもたちに話し合いをさせてほしい」などと要望した。結局、担任はすべて拒絶した上で、こう言ってのけた。

「そんなに言うなら、お母さんが言えばいいじゃないですか」

保護者会での発言は途中で止められた

 そのため、母親は自分で、加害児童の家に電話した。加害児童の母親は「何も聞いていない」と言っていた。学校側の「児童間のトラブル」という判断は変わっていないため、担任は「指導はいらない」「子どもたちは成長しているんです」と延々と正当化した。埒が明かないため、Aくんも、「もういいよ。これ以上言っても変わらない」と諦めた。10月下旬、最後の登校になった。学習支援もなかった。

不登校になる前に、臨時保護者会の開催を要望しましたが、副校長は『母親同士の喧嘩になる。そういうのは外でお茶をしながらすればいい』と拒絶しました。アンケート調査の依頼には『必要ない』と拒みました」

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 12月の保護者会。母親は、そこでも担任に「話題にしてほしい」とお願いしたが、拒絶された。そのため、挙手して自分から話題にした。その結果、道徳の時間を使って話し合うことになったが、担任は経緯を話さなかったため、母親が子どもの気持ちを代弁して話すことになった。しかし、発言は途中で止められた。

 中学に進学しても、いじめ後遺症のためか、休み休みになり、3年生になってからは学校へ行けず、家から出られなくなった。高校は通信制へ進学。4年かけて卒業することになる。

 児童の在学中、母親は、Aくん本人の訴えだけでなく、加害児童のことや実態を繰り返し確認してきた。ただ、学校側にいじめについてのアンケート調査を依頼したが、拒絶された。卒業後、いじめで不登校になったのに、教委からの謝罪もないことから、「いじめがなかったことにされてしまっているのではないか」と思い、あるとき、情報公開請求をした。

「すみません、上司からの指示で破棄しました」

「当時の東京都教育庁の懲戒規則では、いじめの放置等で被害が大きい場合には停職か免職でしたが、いじめを認めていませんから、担任も処分はありません。区教委からの謝罪は当然と考えていましたが、卒業後、区教委にたずねたら、『いじめはなかったことになっている』と言われ驚き、相談記録を自己情報開示請求しました。SCへの相談記録は卒業と同時に破棄されていました。

 SCの聞き取りメモは残っていることを確認していましたが、開示請求する直前にSCより『すみません、上司からの指示で破棄しました』と電話がありました」

 一部は開示されたが、SCへの相談種別が「その他」になっていたことが判明した。都教委に問い合わせをすると、いじめと不登校の相談の場合は「その他」ではなく、どちらかにチェックを入れることになっている。母親が相談したことは書いてあるが、内容は書かれていなかった。

区が開示した資料の一部 ©渋井哲也

 区教委とのやりとりも「口頭でやりとりをしているので記録がない」との言い分だった。母親は「担当者はちゃんとノートにとっていました。少なくとも3回以上、3人が、それぞれ数ページにわたり必死に記録をとっていました」と言うが、重大事態に至る経緯を記録したノートでも「個人的備忘録」扱いとされたため、保存されていない。

 区教委の資料では、Aくんが不登校になった年に、同じく不登校になった児童が計6人とあった。その中にいじめが原因というのは1人。母親は、「うちの子は、この“1人”に該当するのか?」と問い合わせると、区教委は「違う」と回答した。

「うちの子じゃないとすると、不思議でした。SCには、いじめの相談をしていたわけですから。ただ、不登校になる前の担任とSCとの懇談で、SCは『お母さんと先生の言い分が違いますけど』というだけで話し合いになりませんでした。子どもはいじめによってダメージを受けていました。いじめを認め、『全面的に支援します』などと言ってくれればよかったんです」

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Aくんは「気持ちはまだ語れない」

 私は、ライターとしていじめや自殺について取材してきた。いじめの有無は、学校と当事者間で見解が分かれることがある。現在でも調査委員会が設置されても同じだ。しかし、不登校自傷行為、自殺未遂、自殺などという結果になったからこそ、当事者や家族・遺族は真実を知りたい。せめて、やりとりの記録を保存していれば、後からでも検証が可能だ。特に口頭のやりとりを「個人的備忘録」扱いせず、保存すべき資料として扱うべきだ。

 こうした話は、このケースに限った話ではない。アンケートが破棄されたり、いじめの訴えを書いた手紙さえなかったことにされる。これらは個別の問題ではなく、社会問題だ。

 今回、母親を通じて、Aくんにコメントをもらおうとしたが、自分のことや気持ちはまだ語れないとのことだった。それだけ、いじめ自体や、不適切な学校対応による後遺症は重い。