いじめで重傷負った被害児童・目撃した姉が不登校に
愛知県豊田市でいじめ被害に苦しむ家族からの訴えが届いた。豊田市では昨年の3月12日夜に、当時小学6年生の女児2名が、いじめを示唆するメモを残して自殺している。豊田市で今何が起きているのか。苦しむ家族の訴えを追った。
■重傷を負った被害児童
愛知県警によると、加害児童(当時小学5年生)は、2018年10月25日午後3時10分ごろ、愛知県豊田市内の路上で、被害児童(当時7歳)に対して、後ろから押して転倒させる暴行を加えた。
被害児童は、6週間の通院加療を要する手首の骨折、全治まで約3週間を要する歯冠破折の傷害を負うことに。現場に駆けつけた母親は血だらけの被害児童を目撃することになったが、加害児童は、「俺やってねーし」と言い放ったという。
警察は、触法少年による傷害事件と認定し、児童福祉法の規定どおりに、「児童又はその保護者に訓戒を加え、又は誓約書を提出させること」を行った。
なお刑法では、「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定し、刑事未成年者である触法少年を処罰対象から除外している。
■「しんでしまうと思った」
被害児童は、当時の気持ちをメモに残している。「しんでしまうと思った」。
被害児童と姉、加害児童の三人で下校途中にこの事件が発生。暴行の様子は、姉(当時5年生)も目撃していた。事件直後は、姉はその状況をショックのあまりうまく話せなかったという。その後、「妹が死んでしまうと思い、怖かった」と語ったとのこと。
これほどの事件が起きたにも関わらず、学校は保護者説明会すら行なわず、また加害保護者からも誠意ある謝罪はなかったという。
■学校は迷走
いじめ対策委員会の議事録を見ると、学校の迷走ぶりが垣間見れる。
警察は「転倒させる暴行を加えた」と事実認定しているが、この議事録には「押した」という表現が多くあり、最初の段階から学校側が事実を正確に認識していなかったことが伺える。
また、校長は保護者からの提案を受け入れるだけで、児童のケアに関する自らの提案はほとんどしてこなかったとのことだ。
被害児童は、事件後、毎日何度も、「怖い」と訴えるようになり、学校には、毎日保護者が児童の席の隣に常駐。保護者が少しでも離れると、恐怖感を訴える事態に。
医者からは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受け、事件から1年を過ぎた今でも薬を服用している。2019年には、加害児童との接触を恐れて、転校することになった。
■姉も不登校に
被害児童の姉も加害児童との接触に、徐々に恐怖感を抱くようになった。学校側には、「合わせないでください」との要望を出し、「目立った活動を加害児童にはさせません」と校長が約束。
しかし、ニアミスも度々発生し、2019年9月の修学旅行では加害児童が班長を務めるなどしたため、10月からは「もう無理」と学校に行けなくなってしまった。現在も学校に登校できない状態が続いている。
「信じていたのに何度も何度も裏切られ、嘘もつかれた。それなのに安心して学校に来いなんて言われても信用できないし、安心もできない」と、学校に対して強い不信感を抱いている。
■「丁寧な対応を行っている」と教委
不登校の生徒に対しては、担任などが定期的に家庭訪問を行っている学校が多いが、この学校ではそのようなこともほとんど行っていないという。
このような状況を保護者が教育委員会に涙ながらに訴えるも、学校教育課の指導主管はのらりくらりの対応。しらべぇ編集部は、この指導主管に取材を行った。
最初は取材拒否の姿勢だったが、後に課長が対応。課長は、「丁寧な対応を行っている」と述べた。「不登校に陥っている児童に対して、もっと寄り添った対応を行っていくべきではないか」と問うと、「より丁寧な対応を行っていく」と答えた。
なお校長は、取材に対して「やれることはやっているが手詰りな状況にある」と回答している。
■「あの頃に戻れるのなら…」
この件に関して入手した資料は、200枚を超える。
最後に保護者は、「次女は死ぬかと思い、姉も妹が死んでしまうかと思う程の恐怖感を感じさせられた」とした上で、教育委員会は、「気持ちはわからなくないが」という表現で済ませ、学校は「とんだとばっちり」という言葉を口にしたと憤る。
「そもそも事件の事実関係の認定すら曖昧なままで、いじめの重大事態と認定しているのに、第三者委員会設置の要望を受け入れてくれない」と不満を漏らす。
「学校からは、プリント1枚すら届くことなく、冬休みの連絡は卒業写真と卒業文集の催促の電話だけ。事件から1年以上経つが、加害者側から娘の怪我を気遣う言葉をかけられたことすらない」と訴える。
「娘たちは何も好んで今の生活を送っているわけではない。毎日笑顔で帰ってきていたあの頃に戻れるものなら、戻りたい」と語る。引き続き、第三者委員会の設置を求めていくという。