中3女子生徒を追いつめた「陰湿」ないじめとは?
平成27年11月、茨城県取手市の中学3年生、中島菜保子さん=当時(15)=が「いじめられたくない」と日記に書き残して自殺した問題で、中島さんへのいじめを認めなかった取手市教委が同年12月に行ったアンケート結果と、それに基づく「いじめは認められない」とした結論を今年5月、およそ2年半ぶりに撤回した。かたくなにいじめを認めない市教委の姿勢を翻意させたのは、「中島さんへのいじめがあった」と証言した20人以上の同級生の証言だった。中島さんの父、考宜さん(45)と母、淳子さん(47)が独自に聞き取ったものだった。その独自調査から“陰湿”ないじめの数々が浮かび上がってきた。(WEB編集チーム 三枝玄太郎)
執拗な「くさい」「くさや」「クソやろー」といった悪口
「いやなクラスになった」-。3年生に進級したばかりの27年4月、帰宅した中島さんがポツリとこぼしたのを母、淳子さんは覚えている。
5月24日から3日間の修学旅行から帰ってきた中島さんは「楽しかった? 」ときいた淳子さんに「(自宅最寄りの駅からの)帰りのバスが楽しかった」と妙なことを言った。
このとき、中島さんは具体的な何かを口にしたわけではない。だが、後に両親に渡されたアルバムには「きらい」「うざい」「クソやろー」「うんこ」「クソってる」という同じクラスのA子さんとB子さんによる寄せ書きがあった。
中島さんの自殺から5カ月が経った後、しかも市教委の調査が終わっていた卒業式の日にアルバムが両親に渡され、初めて知ることになるのだが、このころ、すでにいじめの萌芽があったことが分かる。
5月、A子さんらのグループにいた中島さんは、素行が悪かったA子さんから距離をとるような態度を取ったところ、A子さんから「菜保子に無視された」とクラスメートに悪口を言われ、無視されたことがあったのだ。
7月ころからは、クラスメートの前で「きもい」「うんこ」「クソやろー」などと公然と悪口を言われるようになった。
体育の時間には仲間外れ 机上に「くさや」とも
2学期になった9月には休み時間、これ見よがしにヒソヒソ話をしたり、「くさや」などと耳元でささやくなどした。
同級生らの話によると、いじめがひどくなったのは2学期から。B子さんが4月まで交際していたA君の隣に中島さんの席があり、仲が良さそうに話していたのをB子さんがA子さんに相談したことがきっかけだった。
このころになると、「行くよ」とA子さんが声をかけて、トイレや水飲み場に中島さんを誘い、授業が始まっても教室に入らないといったことが連日あった。A子さんとC子さんが中島さんを連れてトイレにいる間、B子さんがA君と隣り合って話していることがあったという。
10月には「くさや」と書かれたメモをノートに貼る。「くさや」と声をかける。机の上に落書きがあったのを見つけた中島さんが、暗い顔で消していたのを複数の同級生が見ている。「くさや」と書かれていた。「くさい」「くさや」といった悪口は、ほぼ毎日続いた。
2学期の前半、A子さんがあえて強く中島さんの肩を「バンバン」と離れていても音がはっきり聞こえるほど、大きな音で叩いているのをある同級生が見ている。
音楽室で行われていた合唱祭の練習の際にもC子さんが中島さんを別の生徒の前に引っ張ってきて「この子、臭くない? 」と言った。
また、ピアノを弾いている中島さんとクラスメートが会話をして盛り上がっていたことがあった。級友が振り返る。
「『なお、すごいよね』と言っていつもそばにいるA子、B子、C子じゃないメンバーで盛り上がっていたことがあったんです。面白いことを言って笑ったりしていたら、A子もC子も『えっ? えっ? 何が? 』みたいな感じで、面白くなさそうにしていたことがありました」
10月には体育の授業中、試合形式でバスケットボールのチーム決めをしていた際も、A子さんらが相談して、中島さんを外すようにグーパーじゃんけんをした。授業終了時、下駄箱のところで中島さんは泣いていた。
いじめに半ば加担した担任教諭
「担任のT先生は、生徒によってえこひいきがすごかった。授業に同じように遅れてもA子さんたちは怒られなかった」(クラスメートの証言)。
毎日のようにトイレに連れて行かれていた中島さん。傍目にはうれしそうではなかったという。
「A子が『行くよ』って言うと、仕方なさそうに『うん』と返事をしてとぼとぼとついていく感じ」(同級生)。
1年や2年の際に同じクラスだった生徒らは「授業に遅れることは一度もなかった。むしろ(私が)遅れそうになったら、菜保子がせかしていた」と一様に話す。
あるとき、トイレに行っていて授業に遅れたA子さん、C子さんと中島さんが教室に入ったとき、担任教諭が中島さんだけを前に呼んで「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」と生徒たちの面前で叱ったことがあった。これは「5、6回あった」(同級生)という。
ある生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じで、A子さんたちも英語のT先生の授業の前にことさら遅れていた」と話す。
なぜT教諭は中島さんだけを強く叱ったのか。ある生徒は「スクールカーストで言えば、A子さんたちは最上位のグループで、敵に回すと面倒くさい感じ。生徒たちも次は自分、ってなるのが分かっているから、いじめを止められなかった。中島さんはまじめなので、叱りやすかったんだと思う」と回想する。
当時の中島さんが在籍した3年3組は、特に英語の授業中は学級崩壊の状態で、前半分の生徒しか授業を聞いていないという日々だった。
A君と中島さんの席を隣り合わせにしたのもT教諭で、しかも席替えがあっても、A君と中島さんの席だけは不動で、こうした不自然な「席替え」が4回もあったという。しかも教室最後列の窓側の隅が指定席になっていた。A君はクラスでも目立ち、授業中もうるさかったが、中島さんが隣だと、授業中静かにしていたという。だが、こうしたことも影響してか「成績が1、2年生のころより落ちていた」(中島さんの母、淳子さん)という。
複数の生徒がこうしたT教諭による中島さんへの理不尽な行為を証言している。
中島さんは部活動をしていなかった。理由は幼い頃から続けているピアノのレッスンがあったためで、高校も東京都内の音楽の名門校への進学を希望し、それも叶えられそうな方向で進んでいた。
当時の3年3組は受験を控えているため、居残り授業があった。だが、それに中島さんが参加せずに帰ろうとすると、T教諭から「ピアノばっかりやっていても仕方がない」と怒られた、と帰宅した中島さんは母の淳子さんにこぼしている。
淳子さんによると、1学期末の7月にあった三者面談の際、T教諭は「2学期の生活態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言ったという。
菜保子さんは親にも相談せず、進学予定先の高校の学校案内を1学期にT教諭に提出し、9月下旬にはピアノの賞歴も提出した。だが「先生はたぶん見ていないよ」と中島さんは淳子さんに話している。
同級生の女子生徒は「先生も中島さんに嫉妬している感じだった。A君と隣り合わせにした席替えで、B子さんが中島さんに嫉妬して激しくなったいじめだけど、それにT先生が加勢した感じ」とまで言う生徒もいた。
決定的な出来事が…
そして重大な事件が起きる。11月10日、授業がすべて終わって帰りの会が始まる前のことだった。
中島さんがクラスメートに話した事実によると、A子さんらと音楽室に行った帰り、A子さんとC子さんが壁ドンごっこをしていたところ、教室のドアの嵌め込み式のガラスが割れた。
中島さんは「先に行ってるね」と声をかけて、3階の教室に向かって階段を下りていたが、ガラスが割れる音がして4階まで引き返した。そこにたまたま非常勤の女性講師が通りかかり、3人を叱った。駆けつけた担任教諭にも中島さんは怒られ、学年主任、教頭にも叱責された。そう中島さんは親に事情を話している。
中島さんが午後4時ごろ、ガラスを清掃しているのを目撃した生徒がいる。中島さんは「私は悪くないのに」「関係ないのに呼ばれる」と頭を抱えたり、不満を口にした。
ガラスを割った当人のA子さんは手にけがをし、ガラスの掃除には参加していなかった、と話す生徒もいる。いずれにせよ担任のT教諭や教頭に次々に叱られた中島さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという。
「いくらかかるんだろう」「もっと早く教室に帰っていれば」「(●●先生(非常勤講師)によって)やっちゃったことになっている」「いろいろ言われた」「うちは本当は関わっていないのに」(同級生らから聞き取った両親のメモより)
篠突く雨の中をずぶ濡れになって帰宅した中島さんはしゃくり上げながら「私は悪くないのに」「ガラスを弁償しないといけないかも…」「もっと嫌がらせされる」と矢継ぎ早に言葉を吐いた。
「何をどうしたの? この時間まで何してたの」と母の淳子さんが聞くと「A子がガラスを割って、菜保子は関係ない、知らないけど…」と答えた。
家にいた淳子さんは事態が把握できず、中学校に電話した。
ここから先はすべて中島さんの母、淳子さんの話だ。
「娘が帰宅して、ガラスがどうのこうのと言っていて、話が分からないんでお電話したんです」
T教諭(担任)「今日、お友達と3人で壁ドンゲームをしていて、菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち、2人が逃げようとした」
「ガラスが割れたとき、学年主任が私に『逃げるような態度を中島ともう一人が取った』と言って、私に引き継がれた」
「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」
「菜保子さんは何と言っていますか」
中島さん母「泣いています。関係ない、知らないって言っています」
T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」「教頭先生からお話があった。ガラスを片付けて帰らせた」
その日はピアノのレッスンの日だった。あまり時間に余裕もなく、淳子さんの運転で、つくば市にあるピアノ教室まで車で送った。車中ではいつもは連れて行かない愛犬を傍らに抱いて一言も話さなかった。いつもはする、好きなCDに合わせて歌うこともこの日はしなかった。
「明日2人(A子さん、C子さん)からにらまれる」
レッスンから帰った中島さんがぽつりと「学校に行きたくない」と漏らした。それまで一度もそういうネガティブなことは言わない娘だった。その言葉が最期の言葉になってしまった。
「私の家、放任だから」 いじめっ子たちそれぞれの事情は?
中島さん
をいじめたのはA子さん、B子さん、C子さんの3人。B子さんとC子さんは同じ小学校だったが、ほとんど交流はなかったという。3人とも県立高校に進んだが、A子さんは中退したという。
A子さんはJR藤代駅から徒歩30分ほどの住宅地に住んでいる。取手市内から平成16年に引っ越してきた。父親も地元出身で、同じ中学のOB。中学を出て解体工などを経て数年前に取手市内で飲食店を経営している。母親はパートで昼間は不在がち。4人きょうだいの長女。「私の家、放任だから」とA子さんは友人に話していたという。
B子さんは平成16年、千葉県流山市から転居してきた。2人姉妹の姉で、近所の人の話では、父親は取手市内で会社員を、母はパート勤めをしている。
C子さんはB子さん宅のすぐそばで、同じ頃に取手市内から引っ越してきた。周辺の住民の話では、妹と4人家族で、両親ともに市内の会社に勤めているという。
B子さんの母はインターホン越しに「お答えすることはありません」、A子さん宅には内容証明郵便で取材依頼を発送したが、返事はなかった。C子さんの母は「夫と相談します」といったん返答したが、その後、メールで「実名がネットで流れていることもあるし、取材には今は応じられない」と回答した。
「いじめの事実は話した」と話す生徒もいたが、取手市教委は「いじめはなかった」
取手市教委はクラスメートに面談を行ったが、その際、いじめを前提とした質問はせず、「家でやっていたピアノのことで、何か思い出すことはないか」などと、専ら家族のことを聞いた。中島さんが自殺の4日前に渡した手紙(A子と一緒にいるとストレスたまる、疲れるなどと書かれていた)を取手市教委に渡した生徒もいたが、手紙や手紙の内容に触れた記載はなかった。
12月18日、市教委は「面接の結果、いじめはなかった」と遺族をまじえた会合で報告。中島さんの両親は独自の調査を始めることになる。いじめの事実を具体的に市教委に話した生徒もいたが、報告書には何も触れられていなかった。
平成28年3月16日、取手市教委は「いじめによる重大事態に該当しない」と議決した。だが今年になって文部科学省に「いじめによる重大事態に該当する」と指導を受けた取手市教委は対応を一変させた。
かたくなに生徒の証言、両親の証言を無視または曲解した取手市教委。今後、茨城県教委などによる調査が行われる。真に公正な調査が行われるか、茨城県や取手市の対応が注目される。