いじめニュース速報@イジ速

いじめ事件 ・イジメ ニュースを発信中!スマホいじめが増加!子供達をいじめから守ろう!

なぜ"いじめられている人"を見て笑うのか?

「哲学」は人生の役に立つのか。東京大学の梶谷真司教授は「問いの立て方が重要だ」という。たとえば「なぜいじめはダメなのか」ではなく、「なぜいじめられている人を見て笑うのか」と問う。そこから始まる対話は哲学の条件を備えている。具体的な方法を解説していこう――。

仕事、お金、婚活も「哲学」のテーマに

「なぜ働かなければいけないのか?」「どれだけお金があれば幸せか?」「どういう人と結婚したいか?」

哲学には、「小難しく」「変人がやっている」イメージがあるかもしれません。しかし、人生でぶつかるこのような素朴な問いも、「哲学」のテーマになりえます。

近年、「哲学対話」と呼ばれる活動の輪が広がりつつあります。哲学対話に哲学の専門的な知識は必要ありません。数人~十数人が車座になり、互いに向き合って一緒に問い、語り合い、考えを深めていきます。対話のルールさえ守れば、4歳の子どもでも参加できます。これまで、学校やマンションのコミュニティ、農村での会合、地域の子育てサークル、婚活パーティとさまざまな場所で、哲学対話をおこなってきました。どの場所でも皆さん生き生きと頭をひねり、語り合っています。

ただの井戸端会議じゃないか、と思われるかもしれません。しかし、ソクラテス孔子も、弟子や仲間たちと対話する中で思索を深めました。哲学対話は哲学の原点ともいえる試みです。

しかも、この哲学対話を導入することによって、学校のいじめが減り、職場の人間関係がよくなるなど、意外な効果が表れています。ディベートや討論と哲学対話は何が違うのでしょうか。そして、このような効果がなぜ表れているのでしょうか。

「この仕事に意味はあるのか」

哲学とは「問い、考え、語ること」と、私はいつも説明しています。特に「問う」ことは哲学の肝です。哲学対話でも、まず参加者から問いを募り、何を問うべきか投票をおこないます。問いを決めるのに時間をかけるのは、何をどのように問うのかが、私たちが考えることを決めるといっても過言ではないからです。

私たちは、幼いころから問うことの難しい社会に生きています。授業中に質問したくても、進行の妨げになるからと先生に嫌がられます。実際、私が大学での講義中に、「質問はありませんか?」と募っても、ほぼ手が挙がりません。

社会人になっても同様です。会議中にわからない単語が出てきても気軽に聞けないでしょう。

そのわりに、「A+Bの解を求めろ」「プロジェクトを進めろ」と私たちは外部からの問いに頭を悩ませてばかりです。「この仕事に意味はあるのか」と思っても、その問いを自分も含めだれも受け止めてくれない。自分にとって重要な問いを問えずに生きてきたのです。

だからこそ、哲学対話では何を問うのかを大切にします。たとえば、ある中学校のクラスでは「いじめとは何か」がテーマになりました。生徒たちのあいだでいじめが起きていたら、当事者にとって非常につらい時間になる可能性があるでしょう。でも、生徒にとってそれは問うべきことだったのです。

なぜ"いじめられている人"を見て笑うのか

対話をしているうちに「なぜいじめられている人を見て笑うのか」という問いが出てきて、結局「みんな面白いから笑っているわけではない」ということがわかったのです。ほかの人が笑ってるのに合わせていただけで、本当はよくないってみんな思っていたんだと。その日以来、教室からはいじめを笑う声がなくなっていき、「そういうことするのやめなよ」という人が出てきました。そのうち自然といじめはなくなっていったそうです。

東京大学大学院総合文化研究科教授 梶谷真司氏

「なぜいじめられている人を見て笑うのか」は生徒しか思いつかない問いでしょう。だからこそ、このような効果が出たと私は考えています。教師の側から「なぜいじめはダメなのか」という問いで話し合いをさせていたら、これほどうまくはいかなかったでしょう。

学校での哲学対話では、「なぜ部活の先輩に敬語をつかう必要があるのか?」という疑問があがります。自分よりスポーツが下手で、人間的に尊敬できない先輩がいたとき、学年が違うだけでなぜ敬わないといけないのか。社会人なら「なぜ無能な上司のいうことに従う必要があるのか」と置き換えることができるでしょう。

愚痴のレベルなら、「あんな上司のいうことを聞いてられるか!」「あんなやつ嫌いだ!」の一言で終わってしまうかもしれません。一方、哲学対話では「わからないこと」を増やすことが重要です。わからないことが増えることは、多様な視点から考えを深めることにつながっていきます。

「わからないことが増えてよかったですね」

「有能な上司だったらいうことを聞くのはなぜか?」「人格的には素晴らしいけど仕事のできない上司の場合は?」「自分はそもそもどういう人なら敬意を示したくなるのか?」

――そうやって問いを増やしていくと、個人的な問いが、だんだんと普遍的なものへと変わっていきます。そのうち、自分が大切に思っていることや、本当に不満に思っていることに気がつく。これから向き合うべき問いが見つかることもありますし、当初の上司の問題がどうでもよくなることだってあるかもしれません。

悩んでストレスを感じているときは、たいてい、同じ問いが頭の中をぐるぐる回っているだけで、そこから抜け出せなくなっているのだと思います。ストレスを感じたら、いま自分は同じことばかり考えていないか振り返ってみましょう。そして、問いを増やせないか? と発想を転換してみてください。わからないことは増えるかもしれませんが、意外とすっきりするはずです。

哲学対話では、立場の違う他人と話すことによって、問いが自然と増えていく効果があります。私は対話が終わったあとに、「皆さん、わからないことが増えてよかったですね」と声をかけています。