15歳の画家が描いた「あるべき大人の世界」
- ・15歳で不登校の画家・濱口瑛士くん
- ・「あるべき大人の世界」はすぐ近くにあると考える
- ・ただ、どんな世界になっても「監視の目」は必要
夕方に自宅を訪ねると、彼はパジャマ姿のまま出迎えてくれた。笑顔が特徴的な、少し大人びた印象のある中学3年の少年だ。約束の時間になっているのに気が付かず、ずっと夢中で絵を描いていたようだ。
濱口瑛士(えいし)くん、職業は画家・アーティスト。学校には通っていない。
小学6年の時に不登校になった理由はいじめ。中学ではいじめはなくなったものの、授業にはついていけず、学校はほとんど休んでいる。
見た目や会話からは全くわからないが、瑛士くんには障害がある。それは、「ディスレクシア」という学習障害のひとつだ。「ディス」はギリシャ語で「困難・欠如」を意味し、「レクシア」は「読む」という意味。知的には問題なく、会話も普通にできるものの、文字の読み書きが困難である症状のことを言う。
瑛士くんは、自分の障害を客観的にこう語った。
「ディスレクシアは目に見えてここが悪いと分かりにくいので、子どもたちを追い詰めていると思います」
ディスレクシアの症状を持つ人は、音読したり、字を書いたりすると、その行為に全神経を使ってしまうので、話や指示がまったく頭に入らなくなってしまうという。
瑛士くんも、小学生の時に漢字の書き取りで同じ文字をいくつも書かせられるのは、恐怖ですらあったそうだ。
しかし、ディスレクシアは、読み書きが完全にできないわけではない。実際、瑛士くんの読んでいる本を見せてもらうと、ダンテ、ニーチェ、中原中也など、中学生としてはかなり難しい本に触れているのがわかる。
あくまでも、音読したり、字を書いたりするのが、思い通りにはいかないのだ。
もちろん、難しい本が読めるようになるまでには、本人の努力と、家族による支えがあったことは想像に難くない。母の園子さんは、とにかくよく笑う、明るい女性だった。
「小学校に上がる前に、障害があることがわかりました。書けないのは本当に書けないなと思ったんですけど、たどたどしくはあるんですが読むのは多少できたので、それならいいかなと。大人になって毎日文字を書くわけじゃないし」
親としてかなり心配だったと思うだが、思い出しながら笑っていた。
「読むのは多少できた」と言っても、瑛士くんが小さい時には、文字を見つけると何でも「読んで、読んで」と音読をせがむので、それに応えてあげるのが大変だったという。
「お菓子の箱の原材料とかを読んでと言うんです。ミックスジュースの中にカムカムとか、南米由来フルーツの珍しい原材料などを見つけては喜んでいました。あまりに読んで読んでと言うので、どうしたらいいか医者に相談したことがありました」
そんなめったになさそうな相談に対し、医者のアドバイスは「暇な時に読んで録音しておけばいい」というだけだったそう。そのため、結局、原材料などを読むのに付き合い続けたという。
「瑛士が自分で漫画を見て笑っているのを初めて見た時は、作者にお礼状を書きたいくらい嬉しかったです」
ただ、この読み聞かせが、瑛士くんにとってかけがえのないものになっていたようだ。
「カムカムとは何か」など、想像力を働かせることが多くなり、自然に自分の中で物語を作るようになっていったという。これを絵に描くようになったのが、今の画家としての活動につながっている。どんな単語やイメージでも絵に描くことができる。
瑛士くんは「カムカム」という言葉を聞いて、「丸っこい猛獣で、毒薬なのだ」などと勝手に考えたことを今でも記憶していた。
いまでも絵を描くときは、園子さんと物語について語りながら筆を進めることが多いそうだ。
「どんな世界になっても監視が必要です」
そんな瑛士くんに「大人の世界」はどう映るのだろうか。プロの画家として活動する彼に失礼とは思いつつ、「あるべき大人の世界」というテーマで、物語と絵を作ってもらった。
筆はなんと「消せるボールペン」。色々と試した結果、一番書き心地がいいのだという。難点はだんだん劣化することで、「本当は永遠に今の状態で作品を残したい」と笑っていた。
作品を描いている最中、どんなにしゃべりかけられても大丈夫。お母さんと話しながら、自分の物語を広げていくのだ。
30分以上かけて、作品は完成した。自分の頭に浮かんだものを、そのまま描いた作品だという。その作品がこれだ。
手前には、雑然とした理想郷になる前の大人の世界。そして、雲の先にあるのが、階級もしがらみもない平等な世界。すぐ近くにあるのに、雲に阻まれて見えていないのだという。ただ、誰でもそこへ行くことができる―。
まるで宗教画を解説するかのように、スラスラと自らの絵について説明してくれる。
雲の上の「あるべき大人の世界」では、建物の大きさもすべて同じで、確かに平等。人々が穏やかに暮らしているような印象がする。そんな中、少し異質な感じがするのが、塔の上にある「何かを見ている目」だ。
「これは監視の目です。人間は『善』しかない生き物ではないので、どんな世界になっても監視が必要です。その監視があるから、逆にみんな自分を律することができるし、『理性』を思い出すことができると思っています」
障害やいじめなど、小さい時から様々な経験をしてきた瑛士くんならではの感性かもしれない。そして、こう続けた。
「私から見たらこれが幸せだけど、幸せに思わない人がいるんだろうなと。人間の幸せって結局、平和で、いさかいの起こらないことだと思うんです。そのために『理性』を大切にしないといけない。『理性』とは、全体や周りのため、もしくは自分の思想のために、自己犠牲することだと思う。行き過ぎた自由は、野生です」
そう語ると、瑛士くんは「これが、脳内お花畑の私の中」とおどけてみせた。
母・園子さんは、瑛士くんの絵を間近で見てきて、こんなことを語った。
「すごくいじめられて辛い時期は、ものすごく楽しい世界を絵でいっぱいに描いていて、いま学校に行くことから解放されたら、苦行を美徳とするような絵が増えてきた。絵でバランスを取っているんだよね、たぶん」
瑛士くん自身にとって、絵を描くとはどのような行為なのだろうか。
「絵が綺麗で、私よりうまい人はたくさんいる。そもそも私はうまいと思っていない。『面白い絵』とか『力強い絵』とか、メッセージ性のある絵を描くのが大事だと思うし、メッセージを込めないと作品にならない。だから、今の想いをすぐ形にしたい。私が死んだ後も絵が残ってほしい」
「綺麗な絵は壁紙と一緒だ」と言う瑛士くん。個展や海外訪問など活動の幅は広がっている。これからも人々に訴えかける作品を生み出していきそうだ。
そして、瑛士くんが大人になったとき、世界はどんな形になっているのだろうか。