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子供をいじめで死なせない!「もしものとき」のために、親が知っておきたい本


 一九九五年に日本テレビ報道局で教育を担当する社会部記者となり、各地の学校を取材して回っていた頃、ある少女が私に言った。
「助けてください。いじめは辛いのです。子どもどうしのことだろうと、放っておいたりしないでください」
 教室の中で起きる過酷ないじめに気づかない大人のひとりとして、私は心臓をぎゅうとつかまれた気がした。当時は、愛知県西尾市で大河内清輝くんが「いつもいつも使いばしりにされていた」と書き残して十三歳で亡くなった後で、いじめ自殺が大きな社会問題となっていた。(「はじめに」より)

『いじめで死なせない――子どもの命を救う大人の気づきと言葉』(岸田雪子著、新潮社)の著者が子どものいじめ問題に関わるようになったのは、このことが発端だった。

以後も二十余年にわたり、報道キャスターとしてニュースを伝えるようになってからも、子どもたちの声を聞き歩いたのだという。その結果として、絶望の淵から生きのびた子どもたちの声には、彼らを守るためのカギが隠されていたことに気づく。学校で傷つきながらも、親や周囲の大人からの一言で命をつなぎとめた子どもも少なくなかった。

だからこそ、本書の執筆を決意したのだそうだ。


 今、いじめの形態は変わっている。いじめる子、いじめられる子は入れ替わる。加害者となる子も苦しみを抱えている。インターネットを通しての気軽さ、という武器を身につけたいじめは、加害側に回る子どもを増やし、閉じたグループの中での被害は大人の目からますます遠ざかっている。そして加害側の子どもたちの背景には、親の影響が見え隠れする。(「はじめに」より)

その例として、まずは「いじめの現場を押さえた父」の話が紹介されている。趣味で集めていた旧札や財布の中の現金がどんどんなくなっていくことに気づいた父親のNさんは、長男が金を持ち出そうとしていた"現場"を押さえるのだ。

長男は、同級生の生徒数人から、総額で50万円あまりの金をとられたり、日常的に暴力をふるわれ、自宅マンションの屋上から飛び降りようとしたこともあったという。それでも命を失うことなくいじめの連鎖を断ち切ることができたのは、いじめの現場に踏み込んだ、そしてしっかり長男に寄り添ったNさんの姿勢と行動があったからだった。

よく一緒に遊んでいる同級生たちに金をとられていたことを突き止めたNさんは、あるとき、財布から金をとっていたこと、そしていじめられていることを長男から告白される。「いじめ」は、親からは「友だち」に見えていた同級生の男子たち7人によって、小学5年生の5月から10カ月にわたって続けられていた。長男はその実態を、その後何日もかけて両親に話した。

以下は、Nさんらが加害者を相手に損害賠償を求める裁判を起こした際、裁判の中で長男が陳述した「いじめ」の詳細だ。


 休み時間に突然、●●から「お前をいじめてやる」と皆の前で言われた。「お前はきしょい(気持ち悪い)し、ノリも悪い、死んでほしいから」。▲▲らが拍手し、嬉しそうにうなずく者もいた。僕をいたぶることが、クラスの流行りになってしまった。(中略)
 僕のランドセルがサッカーボールのように蹴りまわされたことが何回かある。僕のランドセルは、小学校に入学するとき、祖父母がお祝いに買ってくれたものだ。四年生までの四年間の思い出が詰まっている。それが目の前で蹴られているのだ。僕にしたら、祖父母が集団リンチにあっているような気がした。僕が「やめろ」というと、「死ね!」「きしょい!」「うざい!」「消えろ!」とののしられる。もう何をしてもムダという気がして、抵抗ができなくなっていた。
 ただ我慢するしかない自分が情けなく、イライラして妹に八つ当たりするようになって親からは叱られた。そういう自分が余計に情けなく、「生まれてこなければよかった」と考える毎日が続いた。
 毎日の学校は地獄そのものだった。学校には僕が安心していられる場所はどこにもなかった。毎日学校に行くのが辛く、急に吐いたり、熱もないのに起きられなくなったりして体調も壊した。
 でも学校を休むことは自分としてはできなかった。休めば、次の日、何を言われるかわからないと思ったからだ。どんな辛いことがあっても、決して学校を休むことはできない。自分一人でただじっと耐えるしかなかった。
「お菓子食うから二千円ちょうだい」などと金を要求されていた。学校で、部活で、電話で、執拗に金を要求してきた。千円単位だった要求額は、万単位になっていた。(18〜20ページより)

結果的に一審で「いじめ行為」が認められ、二審ではさらに慰謝料などが増額して認められ、Nさん一家が勝訴した。しかし高裁判決が確定してからも、Nさんは長男が受けたいじめに気づけなかったことを悔やんでいるという。

あとから思えばいくつかの「サイン」はあったのだが、子どもたちが発するSOSのサインは、ほんのわずかな微弱電波のようなものだからだ。ちなみに母親はいじめをうかがわせるサインを記録していたというが、それらはNさんの長男だけに限らず、いじめを受けている多くの子どもに共通するものかもしれない。


いつも上の空でいることが多い
忘れ物や失くし物が多い
自信を失った様子
「自分はどうせバカだから」「何の取り得もない」などと言う
妹にあたる。イライラした様子
字が極端に荒い。持ち物に落書きが多い。連絡帳などの学用品が破損している
突然、食べたものをもどす
寝つきが非常に悪い
家族での外食をもったいないと言って嫌がる(27ページより)

 

もちろん、いじめられた子どもが示す表面的な"異変"は千差万別だ。しかしこれは、「我が子は大丈夫か?」と気にかかったときの参考にはなるはずだ。とはいえ、こうした"異変"が見られなくても、深刻ないじめは存在する。よって、こうした傾向が見られないから安心だというわけではないのだと、著者は念を押してもいる。

いずれにしても、このケースの場合、人格を否定され、殺されるか自分で死ぬしかないと思っていた小学生を救ったのは父親の行動と家族の理解だった。そして、「学校、休むか」と提案されたことも大きかったという。つまり、家族やその他の人々の言葉や気持ちが、子どもを救うことはあるのだ。

この手記を覚えている方も多いのではないだろうか。


「いままでなんかいも死のうとおもった。
でも、しんさいでいっぱい死んだから つらいけど
ぼくはいきるときめた」(61ページより)

2011年の東日本大震災のあと、小学二年生のときに福島県から神奈川県横浜市に引っ越し、転校先の小学校でいじめにあったFくん(当時小学六年生)による手記だ。横浜市は当初、「いじめではない」と主張したが、この手記を弁護士が記者会見で涙ながらに代読したことがきっかけで、市がいじめと認める方針転換に追い込まれた。

Fくんへのいじめは転校したばかりの二年生のときからはじまり、三年生の6月から10月まで不登校に。四年生になると鉛筆を折られたり教科書やノートを隠されるようになり、五年生になってからは「プロレスごっこ」と称して身体的な暴力がエスカレートした。

さらに、ゲームセンターなどに連れ立って遊びに行く際にはゲーム代や交通費を負担させられるようになり、被害総額は150万円にのぼったという。

Fくんに会いたいと感じた著者は日本テレビの関係者とともに依頼を重ね、中学一年生になったFくんと家族に会うことを許されている。


 私は、手記の中の、あの文言について尋ねた。
「いままでなんかいも死のうとおもった。
でも、しんさいでいっぱい死んだから つらいけど
ぼくはいきるときめた」
 どうして、生きる、と決めることができたのですか?
 Fくんは、言葉少なに答えた。
「生きていたかったのに、津波で流されて、海の底にいる人もいる。自分はこんなことで死んだらいけない、と思ったから」
 実は、Fくんの友人の一人が、東日本大震災津波で亡くなっていた。少し年上の女の子だった。震災直後にばらばらに別れて避難し、そのまま連絡が取れなくなっていた。行方不明と知ったのは、ずいぶん後になってからだったという。
 Fくんの母親が話してくれた。
「当時は、親戚の誰々が亡くなったとか、おばあちゃんの友だちが亡くなったとか、知り合いと連絡がつかないとか、それが日常の会話でした。(中略)人の生き死にが、日常そのものだったのです」(65〜66ページより)

小学生だったFくんにとって、それが受け入れがたい現実だったであろうことは想像に難くない。しかしその環境が、彼に人の死とはどういうものなのかを教えることにもなったのだろう。身近な人の死という経験が、Fくんが生き延びた理由のひとつだったということだ。

ただしそれだけではなく、震災による精神的ショックを心配していた母親が、福島から避難した当初からFくんに対して「つらくなったら学校を休んでいい」と伝えていたことも大きかったようだ。

震災は大きなトラウマになっていたはずだし、いじめの苦しさもあって家で暴れることもあったため、母親は「絶対にこの子は守らなきゃ」と思っていたのだという。そしてFくんも、母親の「行かなくていい」という言葉を聞いた当時、「ほっとした」と話す。

「逃げてもいい」「休んでもいい」という安心感が、Fくんの「ぼくはいきるときめた」の根底にあるということだ。

本書の第一章から第五章には生々しいいじめの実像が浮き彫りにされているだけに、ときに読み進めることをつらくも感じる。だが、われわれ大人は、決してそこから目をそむけてはいけないはずだ。そして、そのうえで第六章「いじめから抜け出す」、第七章「親でも実践できるカウンセリングマインド」を読み、「もしものとき」のための知識をつけておくべきだ。

全てを紹介することはできないが、子どもの発する小さなSOSに気づくためのきっかけとして紹介されている「子どもの変化に気づく、十一のきっかけ」を抜粋しておきたい。上記のNさんの長男の件で母親が書き留めておいたことと重複する部分はあるが、参考にする価値は十分にあるだろう。


一、友だちづきあいに、変化はないか
二、身体にアザやケガが増えていないか
三、服がやぶれたり、汚れたりしていないか
四、持ち物が壊れたり、落書きされていないか
五、怒りっぽくなってイライラする、集中力がなくなる
六、自信を失った様子で「どうせ僕(私)なんか」とか「学校に行きたくない」などと言う
七、急に甘えてきたり、赤ちゃん返りをする
八、食欲がない。夜、よく眠れていない
九、金がなくなる。金の使い方が変わる
十、電話で呼び出されている。塾や習い事を、黙って休む
十一、周囲からの情報(196〜199ページより抜粋)

いじめの形態はさまざまで、どう対応すべきかも千差万別。だからこそ大人は、まず子どもたちをよく見ることから始めることが大切だ。現代の母親は忙しいため、「よく見る」ことは簡単ではなくなっている。しかし、そんななかでも、たとえ短い時間でも目を凝らし、心を澄まし、子どもたちをしっかり見つめることが大切。そして、そんな親たちを社会で支える仕組みが必要。

著者のそんな主張には、大きく共感することができた。そして、われわれ大人たちが本書から学ぶべきことはとても多いとも感じた。


『いじめで死なせない――子どもの命を救う大人の気づきと言葉』
 岸田雪子 著
 新潮社