いじめのエスカレートの原因「 周りに笑ってほしくて… 」
ひとりになってしまう、怖い
小学校高学年の頃、私は2人の友達と一緒にいじめをしていました…(略)…本当はごめんね、ごめんねって謝りたかった。だけど2人の前でそんなことを言ったら、「なんで謝ってんの?」なんて言われてしまう。2人に嫌われたら私は1人になってしまう。怖い。結局私は謝れませんでした。
私にはその友達しかいませんでした。「あの子1人なんだ」って思われるのが怖くて、その友達とずっと一緒にいるために、いじめにのっていた。私は悪いことをしていないなんて1度も思ったことはない。
今でもその子のことや自分のした事を思い出して、泣く時があります。たまに朝の通学路でも会います。 話す機会はあるのに、謝りたい気持ちがあるのに、謝れない。私は弱い人間です。
webで投稿を募集した
出典: 朝日新聞
正義感で、いじめていた
私は小学生の頃に、いじめをしていた。同じ通学班だった男子を猿と呼んで菌扱いし、ランドセルを蹴り飛ばし、班旗で叩いていた。ケガをさせた事もあるし、彼の親に直々に怒られた事もある気がする。申し訳ないが、あまり覚えていない。
大人にはずっといい子だと言われてきたし、男女問わず友達になれるし、周りの人にはできれば笑っていてほしい。私にとって彼へのいじめは、その延長だった。私が彼をいじめる事で、周りで見ている人が笑ってくれるのだ。いじめをしているというよりは、どちらかというと正義感だった。
最初のきっかけは、私が彼にキツい言葉でツッコミを入れたのを、周りが笑ったとかそんな些細なことだ。それがどんどんエスカレートしていじめになった。
「誰かに認められるため」「自分を主張するため」にいじめをしている人がいたら、ちょっと冷静になってほしい。「いじめること」じゃなくとも、あなたの魅力を伝える方法はたくさんある。
出典: PIXTA
凶器は包丁ではなく、ただの刃
春名風花さん
出典: 越田省吾撮影
いじめていた感覚はなかった。それが良いこととは思わなかったけど、それが悪でいじめだとも思わなかった。当時は本当に罪の意識すらなかった。でも今は私があの子を傷つけてしまったことは確かだと思っている。こんな文をこうして書くのも、私がしてしまった罪を少しでも軽くしたいからなのかもしれない。
私は、いじめは意識の外で起こると思っている。多分最初はそう。「やってはならない何か」「制御するべき大切なもの」が意識の外に出てしまった時に、いじめが始まるのかもしれない。
いじめが進んでから、意識の中に大切なものが戻って来てももう遅くて、そこからは「もうこんなことやめたい」って気持ちと、「やるしかないんだ」って気持ちでごちゃ混ぜになる。
だから私は、先生にいじめのことで呼び止められた時、心の中でちょっとホッとした。
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明日は当たり前に来ない
私は君に怒っています。きっと謝ったら許してくれるなんて思わないでください。これは遊びの一環だと言って自分に都合よく生きないでください。いじめられた子は一生その痛みを背負ったまま生きていくんです。
君が変わらない限り私は君の事を許しません。いじめられている子に明日は当たり前には来ないんです。今日生きる事で精一杯です。君がそうさせているんです。
君のこと許さないよ。だけど、君が少し変われば私は君を許せるんだ。君には絶対に私の痛みはわからない。私には絶対に君の苦しみはわからない。それが普通。
だけど、想像はできるでしょ? だから、君には想像する人に変わってほしい。相手の痛みを想像してなかったからいじめてしまったんでしょ? だから、想像して。相手の気持ち。 変わった君なら、私、許せるから。 変わって。君のために。変わって。私が君を忘れるために。
出典: PIXTA
許せないのは、大人
「傍観者も加害者だ」「見て見ぬふりはいけないこと」。確かにそうである。だがそんな勇気が誰にだってある訳でもない。「私が止めたら次は私が標的に」 そう考えてしまう人間は多くいる。酷いもので、私の周りには「みんなやってるから大丈夫」という子もいた。
私が最も許せなかったのは、子供より断然大きな力を持っているにも関わらず、知らないふりをした大人。だから一つだけ。そんな大人にはならないでほしい。一歩間違えたら人が亡くなってしまう問題だからこそ、少しだけでも手を差し伸べられるような大人になって欲しい。
今はできなくてもこれから先、少しでも助けられる力があるのなら、貸して欲しい。