周囲の子に「オカマ」と呼ばれるようになった
それからのぼくは、全くもって、「大丈夫」ではなかった。先生のおかげで、自分は「ふつう」ではない人間なのだと、気づかされてしまったからには、どうすればふつうの男の子っぽくできるかを、四六時中考えていなければならなかった。
歩く時も、座る時も、喋る時も、常に周りの目を気にして「ふつうの男の子」を装った。ただ、好きなアニメや、興味のあるものだけは、変えることが、どうしても出来なかった。
ぼくが大好きな『美少女戦士セーラームーン』というアニメは、3つ下の妹がいたのでなんとか一緒に観ることができた。だけど、女の子の観るアニメだから、ぼくは、セーラームーンが大好きなことを誰にも話さなかった。ぼくが1人でセーラームーンを観ていると、父や母が少し悲しそうな目をするのを知っていたからだ。
だけど、ぼくにはどうしても、なんとしてでも、欲しいものがあった。それは、セーラームーンが敵を攻撃するときに振りまわす、ステッキのおもちゃだ。
そんなものを欲しいと言ったら何を言われるか、どう思われてしまうのか、と考えると恐ろしく、その想いは、小さな胸にしまい込んでいた。
しかしぼくには、セーラームーンのおもちゃを手に入れるための、とっておきの秘策があったのだ!
年に1回のチャンスに全エネルギーをかけた
もうすぐクリスマス。クリスマスにはサンタクロースという親切なおじいさんがやって来て、僕が1番欲しいものをプレゼントしてくれる。年に1回のチャンスに、ぼくは全エネルギーをかけていた。
12月に入ると、ぼくの家にも、小さなクリスマスツリーが飾られた。ぼくは毎朝、目を覚ますと、クリスマスツリーの前に正座をして、手を合わせ、祈りを捧げた。
「セーラームーンのおもちゃが欲しいです、セーラームーンのおもちゃをください、サンタさん、お願いします!」
もちろん言葉にはせず、心の中で、強く念じた。この念が、クリスマスツリーを通じて、サンタクロースへ届くと信じていた。
「サンタさんに、何をお願いしたの?」
そのころ、母は焦っていたようだ。何日にもわたりぼくに質問をした。「サンタさんに、何をお願いしたの?」とか、「何が欲しいか、お母さんからサンタさんに伝えてあげるよ」と。それでもぼくは絶対に言わなかった。女の子の物を欲しがって、母を悲しませたくなかったからだ。
「自分でちゃんと伝えてるから大丈夫!」
ぼくは、なるべくやんわりと、母の申し出を断ったが、それでも母は引き下がらない。
「どんな事に使うものなの? テレビをつかって遊ぶもの?」
ぼくは首を振った。
「動くもの?」
ぼくは少し考えて、また首を振った。
「それを使うと、どうなるの?」
「魔法みたいなことがおこるよ」
ついポロっと出た言葉だった。シマッタ! と思い、これ以上何も答えないでおこうと思った。母は「どんな魔法? 飛ぶもの? 走るもの?」と聞いてきたが、ぼくはこれ以上何も話さなかった。
いよいよクリスマス当日
クリスマス当日、目を覚ますと、枕元には、緑色の包装紙に包まれたプレゼントの箱が置いてあった。ぼくは飛び起きて、その箱を大事に抱え、クリスマスツリーの前に急いだ。いつものように正座をして、合掌。
「ありがとうございます、サンタさん! 本当に、ありがとうございます!」
起きてきた母が、プレゼントを開けてみろと言ったが、ぼくは首を横に振った。プレゼントを開けるにはまだ早い。母が見ている前で開けてしまうと、ぼくがサンタさんにセーラームーンのおもちゃをお願いしたのが、バレてしまうと思ったからだ。
「好きにしなさい」と言って、母が朝ごはんを作るために台所に向かったとき、ぼくは急いで食卓テーブルの下にもぐりこみ、大人の目の届かないそこで、丁寧に包装紙を開いた。
箱の中から出てきたのは
包装紙に包まれていたものは、トランシーバーセットの箱だった。ぼくは感激した。ぼくが、父や母に「内緒」でセーラームーンのおもちゃを欲しがっていることを、サンタクロースはわかっていたに違いない。セーラームーンの箱があればバレてしまうから、あえて箱を変えてくれたのだ。なんて物分かりの良いおじいさんなのかと思ったのだ。
だが、その箱の中から出てきたのは、紛れも無く「トランシーバーのセット」だった。
目を疑った。声も出ず、動けなかった。思考回路はショート寸前。心の中で、何か大切なものが、音を立てて崩れていくのを、傍観するしかなかった。
ぼくは、トランシーバーを手に取り、それを見つめた。そして思った、なんとも男らしいプレゼントだと。徐々に思考回路が復旧するにつれ、サンタクロースの事情というものを悟ったぼくは、心の中で崩れたばかりの何かを、きっぱりと捨てさることにした。そして、トランシーバーを握りしめ、母の元へと歩き出した。できる限りの笑顔で――。
欲しかったセーラームーンのおもちゃは
「良かったね! けど、サンタさん、間違えてなかった?」
気まずそうな笑顔をみせた母に、ぼくは全身全霊の笑顔で言った。
「ちょっと間違えていたけど、こうゆうのが欲しかったんだ。ありがとう!」
母は、少しホッとしたように「お母さんじゃなくて、お礼はサンタさんに言いなさい」と言った。「あ、そうか」と思い、僕はおもむろにクリスマスツリーの前に正座した。なるべく、いつものようにさりげなく。そして、クリスマスツリーに手を合わせてみたが、なんだか、ばかばかしかった。
その時ちょうど、3つ下の妹が起きてきた。妹は起きて早速プレゼントを開けたみたいだ。妹の手に握られていたのは、サンタクロースから届いたばかりの、セーラームーンのおもちゃだ。ぼくが、まさに、欲しかったそれが、妹に届いていたのだ。
それを、妹に貸してもらえることはなかった。ぼくにとって一生忘れられないクリスマスとなったのは言うまでもない。
笑いを取るのが上手だった、人気者の先生
小学4年生の時の担任の先生は「福士先生」という若い男の先生で、いつもわざとらしくヘラヘラとしていて、よく冗談を言って、みんなの笑いを取るのが上手な先生だった。
母はぼくに「福士先生でよかったね! 福士先生ってお母さんたちの間でも、すごく人気があるみたいだよ」と言った。ぼくも、福士先生で良かったと思っていた。あの日までは……。
ある日、ぼくが1人で廊下を歩いていると、3年生位の、調子のいい年下の男の子がぼくを指差して、叫んだ。
「うわー! 『オカマ』だ! 感染(うつ)るぞ、逃げろー!」
彼は「わー」と叫びながら廊下を走っていった。廊下の先には階段がある。ぼくは「そのまま階段から落ちればいいのに……」と思いながら、彼の後姿をみていたが、この一部始終を、福士先生は見ていたのだ。
「なんで『オカマ』って言われるのか、考えたこと、ある?」
福士先生の視線に気付いたぼくはゾッとした。面倒なことにならないようにと祈る思いだった。
目が合うと、先生は薄気味悪くニコっと笑って、手招きをした。
誰もいない教室だった。座るようにと言われ、適当な席に座ると、先生は、向かい側から、ぼくを見下ろすように、机に腰をかけてこう言った。
「七崎くんはさ、『オカマ』って言われて、悔しくないの?」
ここでぼくが「悔しい」とか、「悲しい」と言うと、さっきの子が叱られちゃうんじゃないかと思った。だからぼくは考えた。あの子を叱ってもらうべきか否か。正直あの子は迷惑だ。叱られるのはかわいそうだけど、ぼくが気にしてやることではない。
「悔しいです……」
これであの子は叱られるはずだ。そしたらいちいち廊下で「オカマ」って叫ばれる事も無くなるだろうと思ったが、福士先生が考えていることは、そうではなさそうだった。
「じゃあ、なんで『オカマ』って言われるのか、自分で考えたこと、ある?」
「七崎くんが、ぶりっ子してるから、じゃないかな?」
話がどこへ向かっているのか、うっすらと先が見えたような気がして、ぼくは恐る恐る答えた。
「……ない……です」
考えたことがないだなんて嘘だけど、そう言うしか無いと思った。怒られるかもしれないと思い、福士先生の顔を見上げると、福士先生はまだニコニコしている。とても不気味に感じた。福士先生はこう続けた。
「七崎くんが、ぶりっ子してるから、じゃないかな?」
ぼくは怖くて下を向いた。言葉を発することもできなかった。
「ぶりっ子してるから、先生からみても、七崎くんは『オカマ』に見えるよ。だから先生も、さっきの子の気持ちがわかるもん。そのまま大人になっちゃったら大変だよ。そのまま大人になっちゃったら、すごく困ると思うよ」