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いじめ 消えない傷

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「おまえのせいだ」。取り囲んだ男子5人は代わる代わる殴り、蹴りつけてきた。暴力を振るわれる理由が飲み込めない。止めようとする友達もいない。恐怖で体はこわばり、頭の中は真っ白になった。誰かが教員を呼びに行き、暴行はようやく収まった。

理由なき暴行の記憶

 福岡県に住む愛さん(24)=仮名=の「苦痛の記憶」は小学3年の頃にさかのぼる。暴行の直前の昼休みに行われたクラス対抗ドッジボール。負けた腹いせはおとなしい愛さんに向かった。帰宅後に入浴していると、体中にあざが浮かび上がり、パニックになった。

 暴行した4人は親と一緒に愛さんの自宅を訪れ、頭を下げた。残る1人の母親は「うちの子はいじめなんかしない」という手紙を送ってきた。小学校から謝罪の言葉はなかった。「これで終わり、と学校は考えたんだろうか…」。小さな胸におりを抱えながらも、愛さんは学校に通い続けた。

 後に母から聞いた話では、いじめは1年時から既にあったという。当時は真っ黒に日焼けし、脚には皮膚の感染症の「とびひ」が広がっていた。そんな容姿が同級生の悪口やからかいの対象にされていた。

登校中 涙あふれ出す

 愛さんが小学時代を送った2000年代前半。学校現場でのいじめは問題になっていたが「いじめられる側にも原因がある」といったゆがんだ考え方が残っていた。「被害者」に徹底して寄り添う姿勢が広がるのはまだ先のこと。凄惨(せいさん)ないじめを苦に何人もの若い命が絶たれた後だ。

 愛さんは学校でいじめと向き合い、解決につながるような集会や授業を受けた記憶がない。暴行事件後も嫌がらせは続いた。靴に画びょうを入れられたり、上靴を隠されたり。階段から突き落とされたこともある。「自分のどこが悪いのだろう…」。次第に相手よりも自分に原因があるのではないかという苦しみに支配されるようになった。

 ある朝、登校中に涙があふれ出した。学校に行くことに体が拒否反応を示していた。途中で自宅に引き返した。しばらくすると、仕事を中断した父が急いで戻ってきた。

 学校からの緊急連絡先を父にしていたため、担任が「学校に来ていない」と電話を入れたのだ。父は愛さんの話を聞かずに怒鳴った。「学校に行け!」。言い分はまるで通じない。一方的に叱り、手を上げた。「明日、行けよ!」。そう言い残して再び仕事に戻っていく父の後ろ姿を見送り、1人になれたときは心底ほっとした。

 自宅にいる間は布団に潜り込み、ひたすら寝た。

「行かなくていい」が支え

 息が苦しくなるなど呼吸器系の持病が見つかった愛さんは、小学4年の頃に長期入院した。同級生や教員の寄せ書きが届けられた。「病気を早く治して」「学校で待ってる」。本心とは思えない上、これまでのいじめを棚上げしたかのような言葉は残酷だった。

 愛さんは手紙を破り、燃やした。

 嘲笑や陰口は中学を卒業するまでやまなかった。何度も望んで入院を繰り返した。そのたびに寄せられた表面的な言葉の数々が、さらに孤立感を抱かせた。

 当時、不登校になる小中学生は全国に11万人以上もいた。「無理して学校に行かなくていいよ」。母の優しさが心の支えだった。

 地域の学校から離れ、希望した高校に進学すると楽器演奏の部活動に打ち込んだ。周囲の目が気になることもあったが、知る人がほとんどいない新たな環境は居心地が良かった。少しずつ心が回復し、高校では学校生活の楽しさを知った。

 今、小中学校のころを振り返ると背筋が寒くなる。言葉の暴力にとどまらず、度が過ぎたいじめは一歩間違えば命の危険もあった。

 同じ年代の加害者たちが、その後の人生で自らの行動を顧みることはあったのだろうか。彼らとの交流は絶っている。愛さんは言う。「恐らく私が生きているとは、思っていないだろうな」

   ◇   ◇

 いじめ、学校での決まり事、画一的に進む授業…。そんな状況に息苦しさを覚え、学校に足が向かない子どもたちがいる。当事者や保護者、教師などさまざまな視点から「不登校」の現実と対応を考える。

変わる社会認識不登校はかつて「登校拒否」や「学校嫌い」とも言われ、子ども本人に問題があると捉える傾向が強かった。1980年代は「首に縄をつけてでも登校を」という対応から「首縄時代」ともやゆされた。軟化し始めたのは92年に文部省(当時)が「登校を促すと事態を悪化させることもある」との見解を示してからだ。97年までは全国の不登校の小中学生は全体の1%未満だったが、98年度以降は1%を超えて増加傾向にある。2017年2月には、不登校の子どもを国や自治体が支援することを初めて明記した教育機会確保法が施行されるなど、柔軟な教育により対応するべきだという考え方が広がっている。