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虐待やいじめのために自殺や自傷を繰り返す〜果穂の場合

発達障害傾向のある人たちは、その固有の性格傾向や症状から、周囲の人たちの関わりが難しくなる場合がある。そのため、家族との関係では、子育ての困難さから虐待を受けてしまうこともある。また、学校ではいじめにあうこともあり、結果として自殺を考えたり、自傷行為をしたりすることもある。社会人になってもその「生きづらさ」から抜け出すことが難しい。

小学生の頃から自殺を考えるのは、父から殴られたから

「小学生のころはずっと殴られていた気がします」

関西地方に住む果穂(仮名、27)は発達障害を持っている。なかでも、注意欠陥多動性障害ADHD)で、物忘れが多く、衝動的な傾向がある。

発達障害によるコミュニケーションの不得手さがあります。性格にも問題があると思うのですが、それが親から植え付けられた考えなのか、本当に性格が悪いのか自分でも分からないですね」

希死念慮も小学生の頃からあるようだ。

「周囲の人すべてに嫌われているような気がします。常に、『死ななければならない』と考えてしまいます」

自殺も小学生の頃から考えた。

「2日に1度くらいの間隔で、父から殴られていたため、『死んだら楽になるのに』と思っていました」

実際、首吊りを何度も試したが、未遂となった。線路に飛び込もうとしたときには、警察に保護されたという。

ADHDとわかるのは中学生のとき。両親が児童相談所へ相談

果穂がADHDとわかったのは中学生になってからだ。それまで両親は接し方がわからず、父親からは、殴られながら育てられた。

「衣食住にはお金をかけてくれたと思いますが、父は、私にとっては怖い存在でした。小学校時代の頃の記憶ははっきりしないのですが、小学校3年のとき、お風呂に沈められたのは覚えています。理由は、検便のキットを学校に忘れたというものでしたが」

両親は子育てに悩み、果穂が中学1年生のとき、児童相談所に相談をした。児相に相談できたのは大きかった。検査で「ADHD」とわかったからだ。そのため、両親は果穂への接し方がわかってくるようになり、「ADHD」というフィルターを通して見てくれるようになった。

「何がサボりなのか、どれが症状なのかを見てくれるようになったんです」

だが、中学2年生のときに身長が伸びたことで、殴られることは減っていった。高校生になると、父親からは怒鳴られることが主になったが、包丁を突きつけられることもあった。育てにくさの原因が「ADHD」とわかったものの、父親は暴力的に支配する傾向を抑えることができなかったようだ。

「最近は、本当に体力が落ちてきましたので、『もう、俺はだめだ』と言うようになり、泣き落としをするようになりました。今は離れて暮らしています。LINEが来ることもあるんですが、ほとんど無視して、何回かに一回は返すようにしています。でも、父親とLINEをすることだけでも苦痛なんですけどね」

中学校ではいじめ。自傷行為が始まる。高校卒業後は摂食障害

中学ではいじめ被害にあっていた。「ADHD」傾向のためか、周囲の生徒たちと言動が違っていたことが影響したのかもしれない。ただ、学校には通い続けた。教室の机に、彫刻刀で落書きをされたこともあった。

「中1の頃からいじめにあいました。でも、落ち込んで学校を休むタイプではなかったんです」

自傷行為もこの頃からしている。ただ、手首を切っているわけではない。見えないように腕を切っている。

「いじめをきっかけにリストカットをしました。しかし、次第に(腕を切る)アームカットに移行しました。「死のうとしたこともあります。『死なないといけない』と思ったんです。誰も話を聞いてくれないと思って。本気で切ったんですが、血は大量には出ませんでした」

薬を大量に飲むオーバードーズ(OD)もしている。果穂の場合は、処方薬というよりも、誰もが入手しやすい市販薬で行なったのが最初だった。

「とにかく、意識のある時間が苦痛だったんです」

こうした心情は高校時代もおなじだった。ただ、「死にたい」とは思いながらも、生きていたいとも同時に思っていた。だから、「手に職をつけよう」と、就職をしながら放送大学に通うことにした。だが、卒業をしても、心理的には安定しない。摂食障害になった。

「この頃、理想と現実のギャップを感じたためか、うつ病になったんです。そして、拒食と過食を繰り返しました。自分自身の依存体質に気がついたのは最近です。特定の人を信用し、突き放されるといったことを繰り返しています」

支援センターを利用するも、希望しないのに親に情報がもれる…

最近は、「ADHD」について向き合おうと、地域の支援センターからサポートを受けるようになった。区には「発達障害者支援センター」が各地域にある。しかし、使い勝手がよいわけではない。相談料は無料だが、相談時間は、月曜から金曜日の、9時から17時だ。

「センターが開いている時間は平日で、働いている時間帯です。じっくりと相談ができません。しかも、親に内緒でセンターに相談をしていたんですが、親に情報が伝わってしまっていました。『親とは情報共有しないといけない』と言われてしまいました」

もちろん、「ADHD」を持つ人への支援は一朝一夕にはできない。しかし、同意ないしに親に情報を伝えてはならない。サポートする範囲は、当人の同意の中でなされなければいけないはずだ。

もちろん、サポート方法に異議があれば、他の支援センターを利用すればよい話だ。しかし、地方だと、別の選択肢にも限りがある。そのため、不満を持ちながらもそのセンターを利用しなければならない。地域で暮らす発達障害者には、支援を受ける上でも困難さがつきまとう。

発達障害傾向のある人たちは、その固有の性格傾向や症状から、周囲の人たちの関わりが難しくなる場合がある。そのため、家族との関係では、子育ての困難さから虐待を受けてしまうこともある。また、学校ではいじめにあうこともあり、結果として自殺を考えたり、自傷行為をしたりすることもある。社会人になってもその「生きづらさ」から抜け出すことが難しい。

小学生の頃から自殺を考えるのは、父から殴られたから

「小学生のころはずっと殴られていた気がします」

関西地方に住む果穂(仮名、27)は発達障害を持っている。なかでも、注意欠陥多動性障害ADHD)で、物忘れが多く、衝動的な傾向がある。

発達障害によるコミュニケーションの不得手さがあります。性格にも問題があると思うのですが、それが親から植え付けられた考えなのか、本当に性格が悪いのか自分でも分からないですね」

希死念慮も小学生の頃からあるようだ。

「周囲の人すべてに嫌われているような気がします。常に、『死ななければならない』と考えてしまいます」

自殺も小学生の頃から考えた。

「2日に1度くらいの間隔で、父から殴られていたため、『死んだら楽になるのに』と思っていました」

実際、首吊りを何度も試したが、未遂となった。線路に飛び込もうとしたときには、警察に保護されたという。

ADHDとわかるのは中学生のとき。両親が児童相談所へ相談

果穂がADHDとわかったのは中学生になってからだ。それまで両親は接し方がわからず、父親からは、殴られながら育てられた。

「衣食住にはお金をかけてくれたと思いますが、父は、私にとっては怖い存在でした。小学校時代の頃の記憶ははっきりしないのですが、小学校3年のとき、お風呂に沈められたのは覚えています。理由は、検便のキットを学校に忘れたというものでしたが」

両親は子育てに悩み、果穂が中学1年生のとき、児童相談所に相談をした。児相に相談できたのは大きかった。検査で「ADHD」とわかったからだ。そのため、両親は果穂への接し方がわかってくるようになり、「ADHD」というフィルターを通して見てくれるようになった。

「何がサボりなのか、どれが症状なのかを見てくれるようになったんです」

だが、中学2年生のときに身長が伸びたことで、殴られることは減っていった。高校生になると、父親からは怒鳴られることが主になったが、包丁を突きつけられることもあった。育てにくさの原因が「ADHD」とわかったものの、父親は暴力的に支配する傾向を抑えることができなかったようだ。

「最近は、本当に体力が落ちてきましたので、『もう、俺はだめだ』と言うようになり、泣き落としをするようになりました。今は離れて暮らしています。LINEが来ることもあるんですが、ほとんど無視して、何回かに一回は返すようにしています。でも、父親とLINEをすることだけでも苦痛なんですけどね」

中学校ではいじめ。自傷行為が始まる。高校卒業後は摂食障害

中学ではいじめ被害にあっていた。「ADHD」傾向のためか、周囲の生徒たちと言動が違っていたことが影響したのかもしれない。ただ、学校には通い続けた。教室の机に、彫刻刀で落書きをされたこともあった。

「中1の頃からいじめにあいました。でも、落ち込んで学校を休むタイプではなかったんです」

自傷行為もこの頃からしている。ただ、手首を切っているわけではない。見えないように腕を切っている。

「いじめをきっかけにリストカットをしました。しかし、次第に(腕を切る)アームカットに移行しました。「死のうとしたこともあります。『死なないといけない』と思ったんです。誰も話を聞いてくれないと思って。本気で切ったんですが、血は大量には出ませんでした」

薬を大量に飲むオーバードーズ(OD)もしている。果穂の場合は、処方薬というよりも、誰もが入手しやすい市販薬で行なったのが最初だった。

「とにかく、意識のある時間が苦痛だったんです」

こうした心情は高校時代もおなじだった。ただ、「死にたい」とは思いながらも、生きていたいとも同時に思っていた。だから、「手に職をつけよう」と、就職をしながら放送大学に通うことにした。だが、卒業をしても、心理的には安定しない。摂食障害になった。

「この頃、理想と現実のギャップを感じたためか、うつ病になったんです。そして、拒食と過食を繰り返しました。自分自身の依存体質に気がついたのは最近です。特定の人を信用し、突き放されるといったことを繰り返しています」

支援センターを利用するも、希望しないのに親に情報がもれる…

最近は、「ADHD」について向き合おうと、地域の支援センターからサポートを受けるようになった。区には「発達障害者支援センター」が各地域にある。しかし、使い勝手がよいわけではない。相談料は無料だが、相談時間は、月曜から金曜日の、9時から17時だ。

「センターが開いている時間は平日で、働いている時間帯です。じっくりと相談ができません。しかも、親に内緒でセンターに相談をしていたんですが、親に情報が伝わってしまっていました。『親とは情報共有しないといけない』と言われてしまいました」

もちろん、「ADHD」を持つ人への支援は一朝一夕にはできない。しかし、同意ないしに親に情報を伝えてはならない。サポートする範囲は、当人の同意の中でなされなければいけないはずだ。

もちろん、サポート方法に異議があれば、他の支援センターを利用すればよい話だ。しかし、地方だと、別の選択肢にも限りがある。そのため、不満を持ちながらもそのセンターを利用しなければならない。地域で暮らす発達障害者には、支援を受ける上でも困難さがつきまとう。