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日本で「貧乏な家の子」がイジメられない理由

「頭のいい子・金持ちの子」が標的に

「日本はいじめの少ない国」。文部科学省や大手メディアは国際調査の結果をそう解説しているが、それは大きな間違いだ。統計データ分析家の本川裕氏は、「日本は他国に比べ、特定の個人をしつこく追い詰める“頻度の高いイジメ”が多く、また頭のいい子や金持ちの子が標的になるケースが多かった」という――。

やはり日本は世界有数の「いじめ大国」だった

3年ごとに実施されているOECDPISA調査は、世界各国の15歳の学校生徒を対象にした国際的な学力調査であり、その結果には世界的な関心が集まる。同調査では、学力テストに合わせて、就学上の状況調査として、学校生活や生徒の意識について直接生徒に聞く調査を実施している。

今回は、この調査の一環として取り上げられた「いじめ」についての結果について最新の2015年のデータを見てみよう。国民的な関心が高いテーマに関して貴重な情報が盛りだくさんであるわりに、これまであまり適切に紹介されてこなかったきらいがある。

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特定の生徒にいじめが集中する傾向がある

「いじめ」調査はOECD33カ国、パートナー国21カ国、合計54カ国の結果を得られるが、ここでは、一般的に先進諸国と見なされるOECD諸国の中での日本の位置について見てみよう(図表1参照)。

「仲間はずれ」や「からかい」など6項目について「何らかのいじめ」を受けている日本の生徒の割合は、頻度別に、「年数回以上」であると45.5%、「月数回以上」であると21.9%、「週1回以上」であると10.7%となっている。かなり多くの生徒が「いじめ」にさらされていることが分かる。

順位的には、OECD33カ国の中では、それぞれ、25位、7位、5位となっている。また、主要先進6カ国(G7諸国から「いじめ」調査不参加のイタリアを除く)の中では、「年数回以上」は最下位、「月数回以上」と「週1回以上」では、英国に次ぐ2位となっている。

日本は、頻度の低いいじめについては順位が低く、頻度が高くなるほど順位が大幅に高くなる。これは、他の国と比較して、特定の生徒にいじめが集中する傾向があることを示している。いじめはしつこく繰り返されるほど深刻であると考えられる。この点を考慮すると、日本の学校では、他の先進国と比較して、いじめが多い国だと結論づけられよう。

文科省や大手メディアは「日本はいじめの少ない国」と解説

OECDの報告書は、全体的に%の数値が大きく、国際比較で差がはっきりする「年数回以上」のデータに近い総合指標に基づいて概要版のランキングを作成している。ラトビアニュージーランドのように頻度に関わりなくいじめの多い国や、ポルトガル韓国のように頻度に関わりなくいじめの少ない国はこの指標で判断してもよいかもしれないが、日本のように頻度別のランキングが大きく異なる国ではそうはいかない。

ところが、概要版のランキングに引きずられて、日本の公表機関となった文部科学省国立教育政策研究所の報告書や、これに基づく報道(日経新聞電子版2017年5月2日付など)ではどちらかというと「日本はいじめの少ない国」と結論づけてしまった。もう少し細かにデータを見てから、多い少ないの判断をすべきだったと思う。

日本では「からかい」と「こづきまわし」が多い

上で述べたように、月数回以上「何らかのいじめ」を受けている日本の生徒の割合は21.9%と主要7カ国の中では英国に次いで多くなっており、いじめが多い国と言わざるをえない。月数回以上のいじめについて、図表2には、いじめの種類別の頻度を主要7カ国で比較した。

いじめの種類については、いずれの国も「からかい」が最も多いという共通点もあるが、何が多いかは、国により、やや異なっている。

 

例えば、主要7カ国における順位は、日本の場合、「からかい」と「こづきまわし」については1位と多いが、「仲間はずれ」「持ち物隠し・破損」「悪いうわさ」は6位、「脅かし」は5位と低いほうに属する。

いじめ種類別の順位を調べると、「からかい」に次いで多いのは、英国、米国では「仲間はずれ」であり、フランス、スウェーデン、ドイツ、韓国では「悪いうわさ」となっている。2位が「こづきまわし」であるのは日本だけである。

いじめを受けやすいのは勉強のできる子かできない子か

いじめの頻度やどんないじめが多いか、という見方を転じて、いじめを受けやすいのがどんな生徒かについての集計結果を見ると、日本は、他の国より「社会分断的でない」という特徴も見て取れる。

まず、いじめられるのが「勉強のできる子なのかできない子なのか」を見てみよう。このため、図表3には、PISA調査の本体部分である学力テストの結果と付帯部分のいじめ調査の結果との関係を主要国について示した。

図には、科学的リテラシー(いわゆる理科)のテスト結果の得点を低いほうから高いほうへ人数別に10区分した各区分の生徒について、過去1カ月の間にいじめを受けた割合を示した。

各国の結果を全体的に見ると、右下がりの傾向が認められる。すなわち「からかい」「こづきまわし」「悪いうわさ」といったいじめの種類によらず、概して、成績の悪い生徒ほどいじめを受ける割合が高いことがわかる。

成績の悪い生徒より成績の良い生徒がいじめられやすい

日本の結果を見ると、「悪いうわさ」については、成績の悪い生徒ほど比較的いじめを受けやすい傾向がある。しかし、他の国ほど成績と比例していない点も目立っている。

一方、「からかい」については、フランスなど欧米の先進国や中国では成績の悪い生徒ほどいじめがひどいのに対して、日本は、むしろ、逆に、成績の良い生徒ほど多くのいじめに遭っているという対照的な状況が明らかである。この点について、韓国は、いじめの発生率は日本よりずっと低いが、成績の良い生徒ほどいじめに遭うという点では日本と似ている。

「こづきまわし」については、日本の場合、成績の最も悪い第1区分から第8区分までは他の国と同じように成績の悪い生徒ほどいじめられているが、第9区分より上では成績の良い生徒のほうがいじめられている。成績の最も良い第10区分では第1区分よりもいじめがひどいほどである。「こづきまわし」は「からかい」と「悪いうわさ」をミックスしたような結果になっているといえる。

どの国でも、いじめの中で最も多いのは、実は、「からかい」であり、日本では特に多くなっている。「こづきまわし」は、一般的にはそう多いいじめではないが、日本の場合はいじめの種類としては2番目に多くなっている。この2つのいじめの結果から、日本のいじめの特徴は、他の先進国とは逆に成績の悪い生徒より良い生徒がいじめられやすい点にあると結論づけられよう。

いじめを受けやすいのは恵まれた家庭の子かそうでない子か

最後に、いじめと家庭環境の関係を見てみよう。

図表4には、OECD諸国の中では例外的といってよいのであるが、日本が、恵まれた家庭の生徒ほどいじめに遭っていることを示すデータを掲げた。

OECD諸国の中では、恵まれない家庭の生徒のほうがいじめに遭う割合が多い国が33カ国中25カ国と多くを占めている。その傾向が最も強いのはフランスである。

他方、日本は、恵まれない家庭の生徒が1カ月の間に何らかのいじめに遭う割合は18.4%であるのに対して、恵まれた家庭の生徒は25.6%とこれを大きく上回っており、フランスとは真逆の現象となっている。欧米では貧乏人の子ほどいじめられるのが一般的であるのに対して日本では金持ちの子ほどいじめられているというのだから実に対照的である。

図表4において、いじめが多い順位を調べて見ると、日本の場合、恵まれた家庭の生徒ではラトビアに次ぐ第2位と高い順位であるが、恵まれない家庭の生徒では19位と低いほうとなる。

一般に勉強のできる生徒は家庭環境が恵まれている生徒であろうから、先ほど成績でいえたことは家庭環境でも成り立つと考えられるが、それが、データで実証されている格好である。

本の学校では、勉強のできる子や恵まれた家庭の子に対するやっかみや足を引っ張りたい気持ちが強くなっているといえる。日本人に特徴的な「和をもって尊しとなす」精神が暴走した結果だともいえよう。

欧米と比べ「出る杭は打たれる」式のいじめが横行

まとめると、日本の学校のいじめは、頻度の高いいじめが多く、特定の個人をしつこく追い詰めるという意味でかなり深刻である(図表1)。また、いじめの種類では、「からかい」と「こづきまわし」が特に多い(図表2)。さらに、成績および家庭環境のどちらにおいても、欧米と比べて、「弱い者いじめ」としての側面は弱く、むしろ「出る杭は打たれる」式のものであるといえる(図表3~4)。

もし、「弱い者いじめ」だけをいじめとするなら、日本はいじめの多い国とはいえなくなると考えられる。ただし、いじめにも一理があったりするから、かえって、根絶が難しくてしつこいいじめが多くなるという面があろう。

このように、いじめの国際比較データを見ると、「頻度別の結果」も「いじめ種類」も「成績・家庭環境別の結果」も日本の状況は世界的な一般傾向からの著しい乖離が認められる。私の経験では、国際比較データでは、日本は世界の常識が通じないことが多く、その分、ランキングなどによる単純な判断が誤解を生む可能性が大きいので注意が必要である。

しかし、国際比較データは、それをよくよく吟味すれば、日本人の自己認識を深めることができるという意味で、興味深さもまたひとしおだといえる。