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いじめ発見に逆効果な 「いじめは犯罪である」を…

子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら、どうすればいいか。教育研究者の山崎聡一郎さんは「『行かなくてもいい』と伝えても解決になるとは限らない。より多くの選択肢を提示することが大切だ」と説く――。

学校でのいじめと嫌がらせに悩む少女

不登校の理由の多くは「よくわからない」

「学校に行きたくない」という気持ちは、とても複雑です。大人は「学校に行きたくない」と聞くと「友だち関係で悩んでいるのかな」「勉強についていけないのかな」「学校でいやなことがあったのかな」と原因を探ろうとします。しかし、原因が説明可能である場合は解決策も見つけやすい分ラッキーで、原因不明の不登校は少なくありません。

日本財団が2018年に行った「不登校傾向にある子どもの実態調査」では、まず大人に対して事前調査を行い、本調査は中学生本人を対象として学校に行きたくない理由を調査しています。この調査で、多く回答されている理由は「朝、起きられない」「疲れる」「学校に行こうとすると、体調が悪くなる」「自分でもよくわからない」「学校に行く意味がわからない」といったものでした。

理由がよくわからない不登校も十分あり得る

皆さんは「理由がよくわからない不登校もあり得る」ことを、ぜひ覚えておいてください。大人のエゴで「甘えだ」と切り捨てるのは簡単ですが、「どうして学校に行けないのか」といちばん悩んでいるのは不登校の子ども本人ということもあるのです。この難しさが不登校のやっかいなポイントであり、不登校が一朝一夕に解決しないのは、ある意味当たり前です。

 

そこに焦りを感じるのは当事者も保護者も一緒です。しかし難しい問題だからこそ、あせらずじっくり向き合う心がけが、より良い解決のために大切なのではないでしょうか。

9月1日に注意する理由

不登校の問題を考える上で、9月1日に注意する必要があります。毎年8月後半からメディアでもよく取り上げられますから、ご存じの方もいるかもしれませんね。

18歳以下の過去の自殺者数の統計から、1年のうちで自殺件数のもっとも多い日が9月1日だと明らかになったのです。かつては9月1日から新学期がスタートしていた時代があり、今は具体的な時期がずれてきてはいるもの、夏休み明けの2学期始まりの日が危険ということから、「9月1日問題」と呼ばれるようになりました。

では、なぜこの日に自殺してしまう子が多いのでしょうか。これも突発的に死んでしまう子も多いので、はっきりとした理由を知ることは難しいのです。わかりやすい理由のひとつとして「いじめ」が取り上げられることが多いですが、理由のわからない自殺もたくさんあります。

夏休み明けは、「これからまた学校に行かないといけない日々が続く」と考えてしまうので、学校に行きたくない子にとっては本当にしんどいと思います。だからこそ、大人はこの時期はとくに注意深く子どもの状況を見ていく必要がありますし、子どもたちには「あなたを助けたい大人がいる」ことを知っていてほしいです。

 

学校へ行くのは義務ではなく権利

日本では、原則として親が「子どもを小中学校に必ず通わせなければならない」という考えが基本にあると思います。でも学校へ行くのは、子どもの義務ではなく、権利です。ですから、子どもが権利を放棄して学校に行かないこともできます。「教育の義務」とは、大人に課せられた「子どもに教育を受けさせる義務」を指すのです。

子どもたちにとっては権利であり、大人にとっては義務である以上、本当は子どもが喜んで学校に通える形を大人がつくらないといけないのに、なぜかこれが転じて「通わない子どもが悪い」という雰囲気に変わっていますよね。

ぼく自身、小学校でいじめにあっていました。その頃に、一日だけ学校を休んだことがあります。授業を受けに行くわけでもだれかと遊びに行くわけでもなく、わざわざ同級生たちから殴られ、蹴られ、罵られるために学校に行くのがばかばかしくなったのです。

でも、なぜか学校を休んでしまった自分の方が悪いことをしているような、モヤモヤした気持ちが強くて、結局学校を休んだのは一日だけでした。今の子どもたちも、学校は行きたくなくても行かなければならないものだというプレッシャーを感じているかもしれません。

「いじめられている」子には、「それなら学校へ行きたくないだろう」と思って「学校へ行かなくていいよ」という解決策を、さくっと提示してしまいがちです。でも、学校へ行かないという選択肢もあるし、子どもが学校へ戻りたいという意思があるならば、大人は学校へ戻してあげるために考えなくてはなりません。

子どもはいじめに気づいてほしい

いじめの問題では、中学生にアンケートをとったときに見えてきたことがあります。親、先生にはいじめにあっていることを「言わない」、けれど「気づいてほしい」と書いているものが多かったんですね。大人からすると「うわあ、難しいこと言うなあ」と思うけれど、でも実際に子どもからすると、やっぱりそうなんでしょうね。

いじめられていることに気づけるかどうかは、普段からの差が出るのだと思います。いじめに気づける親は「いじめに気づかなきゃ」と気にしているのではなくて、ふだんから何気ないコミュニケーションをとっていて、些細な変化に気づきやすい「日常」を作っています。しかし、今はコロナの影響でいつも以上に大人に余裕がない。だから子どもに目が向けられていないのではないかと心配です。

 

「いじめ=犯罪」にすべてを落とし込んではいけない

いじめでは、被害者側にも悪いところがあるという話が絶対に出てきます。あるいは誰に言われたわけでもないのに被害者側が「自分が悪いんじゃないか」と思いつめてしまうこともある。でも、いじめられる側に何か落ち度があったとしても、いじめていいということにはなりません。

法律では「友だちとのトラブルや、モヤモヤした気持ちを晴らすために、ほかの選択肢もあったのに、あえて『いじめ』という行為を選択したことがだめなんじゃないのか」と考えます。

最近では「いじめは犯罪」という主張が、広く受け入れられるようになりました。それでは犯罪になるのはどんなことかというと、必ずその人がとった「行動」なんです。「どう思ったか」では絶対に犯罪にはならなくて、「何をやったか」なんです。誰かを憎いと思うのは自由、でも憎い相手を攻撃する行動は犯罪になります。

だから法律の考え方をベースに、「あなたがしたことはだめだったよね」「それは自分が加害者になることだったよね」と教えていくことは大切だと思います。でも難しいのは、全部「いじめ=犯罪」にすると「見えなくなるいじめ」が出てくることなんです。

たとえば、みんなで誰かを無視するという行為は「犯罪」にならないけど、「いじめ」じゃないですか。すべて「いじめ=犯罪」にすると、いじめという言葉の意味がせばまり、逆に発見しにくくなってしまう。これは逆効果です。だから「いじめは犯罪になることもあるんだよ。重いものなんだよ」と伝えることも大切だけど、それとともに「いじめ」という広い言葉を残すことも必要です。

その子が幸せな人生に向かえる選択肢を増やす

私たち大人は「学校に行かないでこうする」「学校に行かなくてもいい」ことを伝えてきました。けれども、それは「これからの時代、学校へ行くなんてナンセンスだ」ということではもちろんなくて、選択肢を増やしましょうということですよね。

どの選択肢も自分の幸せな人生に向かっていて、どの道が良いかは人それぞれです。選択肢をいろいろ提示できて、そのどれもが「いい選択肢だよね」と、言えるようにしていく。そういうことを、私たちはまだまだやっていかなければと思います。