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旭川市14歳少女凍死事件で思い出す、北海道であった「もう一つの女子児童いじめ自殺事件」

2021年3月、北海道旭川市内の当時中学2年生の廣瀬爽彩(さあや)さん(14)の遺体が見つかった。「文春オンライン」の記事によると、2019年4月ごろから、爽彩さんはいじめを受け、6月には川に飛び込んでいた。爽彩さん本人や母親が学校に相談をしたものの、適切な対応を取られないまま、結局、2021年2月、吹雪のなか家を出て凍死した。

 道内では文部科学省が調査に乗り出した事例として、滝川市のいじめ自殺(2005年)がある。訴訟にまで発展したが、結果的に和解となった。和解内容は、その周知徹底と再発防止に取り組むとしていた。しかし、このときの教訓が生かされず、爽彩さんの命が失われてしまった。

 
滝川市のいじめ自殺事件とはどんなものだったのか。事後的な周辺取材を含めて、改めて振り返る。

滝川市の女子児童が受けたいじめの内容

 2005年9月9日午前7時45分ごろ、北海道滝川市内の小学6年生の女子児童(当時12)が教室で首を吊ってぐったりしているのを、同級生が見つけた。学校は翌10日、「目立った欠席や変わった様子はなく、現時点で原因と思われることは把握していない」と説明した。2006年1月、多臓器不全でその女子児童が死亡した。

 旭川市のいじめ凍死事件と共通しているのは、いじめを受けた生徒・児童が亡くなっているという点だ。滝川市の事件では自殺を図った児童は一命を取り留めたものの、4ヶ月後に死亡した。

 滝川市の女子児童が受けたいじめはどんなものだったのか。のちに裁判になるが、原告・遺族と、被告・滝川市および北海道との間で交わされた和解内容によると、以下の通り。

 女子児童は小学校3年の頃から同級生に避けられるようになり5年のときは同級生に「すごい気持ち悪い」などと言われた。6年の4月、席替えの時に、多数の同級生から「(隣になった)男子児童がかわいそうだ」と言われたり、同級生から「うざい」と言われた。このことは、担任に訴えている。

 7月の修学旅行の班分けの時、担任が「自分たちで班分けを行うように」と言い、女子児童は男子児童ばかりの班に入ることになった。他の班で、女子が一人だけというのはない。こうしたこともあり、同級生の女子児童3人から避けられていることを担任に相談している。担任が仲介するものの、関係修復に至ることはなかった。

 8月、修学旅行の部屋割りの時、担任は「自分たちで部屋割りを行うように」と言ったが、女子児童だけが部屋が決まらなかった。話し合いが行われた結果、加害女子児童3人がいる部屋になった。このうち2人は担任に「一緒になってもしゃべらなくていいの?」などと話していた。

 8月31日の修学旅行で女子児童は担任の部屋を訪ね、「みんな窓に張り付いていて外の景色が見えないので見せて」と言っていた。しかし、外は真っ暗。景色は見えない状態だった。また、女子児童は「部屋の鍵がない」と言い、自由時間に一人でエレベーターに乗り、上ったり、下ったりを繰り返していた。

 

「死んだら読んでください」と書かれた7通の遺書

 女子児童が自殺を図った教室内の担任の机に数通の遺書があった。学校側は中身を見ずに保護者に返した、としていた。また、マスコミ向けには「手紙」と発表していた。しかし、その遺書には「死んだら読んでください」と書いてあり、全部で7通が残されていた。そのうちの「学校のみなさんへ」の内容は以下のようなものだった。

 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう。私は、この学校や生とのことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなりました。6年生になって私がチクリだったのか差べつされるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。何度か自殺も考えました。でもこわくてできませんでした。でも今私はけっしんしました。私は、ほとんどの人が信じられなくなりました。でも私の友だちでいてくれた人には感謝します。「ありがとう。」それから「ごめんね。」私は友だちと思える人はあまりいませんでしたが今まで仲よくしてくれて「ありがとう。」「さよなら。」

 爽彩さんの場合、遺書はなかった。しかし、文春オンラインの報道によると、失踪当日夕方、ネット上の友人に《きめた》《今日死のうと思う》など、自殺の決意を示すLINEのメッセージを送っている。死を予期した言葉を残していた意味では共通だ。

亡くなった旭川市の廣瀬爽彩さん

校長は「担任の努力ですべて解決済み」

 滝川市の女子児童が書いた遺書については、市教委は親族から遅くとも2005年10月にはその存在を聞いていた。親族は、校長や担任との面談を申し込んでいた。しかし、校長は「担任の努力ですべて解決済み」との見解を示していた。

やがて親族は同級生の証言を集めて、いじめの実態が明らかにしていく。女子児童が亡くなった後、学校側は「自殺の原因は不明」「希死念慮があった」「すべて解決済み」と答えるだけだった。一方で、「家族のせい」と言っているという話も耳に入ってきた。

このように遺族側が独自に調査をしていくという姿勢は、滝川市や今回の爽彩さんの事件だけではなく、全国のいじめ自殺によく見られる流れだ。いじめではなく、「家庭のせい」だという噂が流れるパターンも似ている。子どもが亡くなっただけでも精神的ダメージを受けている遺族が、いじめの実態を明らかにするために調査をしなければならない現状がある。滝川市のいじめ自殺のときから状況は変わっていない。

読売新聞の報道で市側は態度を一変

 2006年6月21日、遺族は、遺書や交換日記のコピーを市教委に提供した。交換日記には「自殺したい しにたい」「かなしい くやしい ムカつく バカバカしい くるしい つまらない」などと書かれていた。市教委はこの時点でもいじめの事実を公表しなかった。そのため、遺族は、遺書について取材を受け、10月1日、読売新聞が初めて報道をした。すると翌日、市教委は記者会見を開き、自殺の原因について「いじめではない」と述べていた。

 しかし、市側は態度を一変させる。市教委は10月5日の会議で、自殺の原因について、委員の全員一致で「遺書の内容を踏まえ、いじめであると判断」するとの見解をまとめた。午後の市議会総務文教委員会でも、市議から、全国から批判が寄せられたことを踏まえた質問がなされた。そして、同日、市長や市教委幹部が遺族に謝罪した。10日には教育長が引責辞任をしている、さらに13日に、教育部長と指導室長を更迭。12月6日、市教委は調査報告書を公表した。

いじめの事実を認め謝罪する田村弘滝川市長(当時/左端)ら ©共同通信社

報道によって「認識」を変えた

 旭川市の場合、爽彩さん本人や母親が担任に相談をしていたものの、担任は「いじめはない」などと言い、川に飛び込んだ際には警察が出動する事態にもなったが、いずれも対応が不十分だった。校長も「いじめには至っていない」と、いじめを否定。死亡の因果関係も認めなかった。

 しかし、「文春オンライン」でいじめと死亡の関連を報じられると、大きな反響を呼び、旭川市ではようやく「総合教育会議」で対応を協議した。その結果、いじめ防止対策推進法における「重大事態」と認定され、調査委員会が設置されることになった。当初はいじめを否定していたが、報道されたことで、「認識」を変えた点も滝川市の場合と共通する。

滝川市のいじめ自殺では、道教委の対応も不十分だった。道教委は遺書のコピーを紛失していたという。女子児童が自殺を図った当日の午前9時ごろ、空知教育局を通じて道教委に知らせが入っていた。遺書が残されていたことも把握していた。また、翌年6月、市教委は遺族から入手した遺書のコピーを空知教育局に提出。2日後に、道教委学校安全・健康課に届けられた。しかし、課長には報告されなかった。

 旭川市のいじめ凍死事件では、まだ道教委の対応は明らかになっていない。川への飛び込みが地元の「メディアあさひかわ」で取り上げられた時点(2019年9月)で、市教委から道教委にどのような報告がなされていたのかは注目だ。また、道教委が市教委に対して、どのような指導・助言をしていたのか――。調査委の調査では、この点も一つの焦点になり得る。

飛び込み事件の現場となったウッペツ川 ©文藝春秋

文科大臣が会見、副大臣が遺族を弔問――文科省も動いた

 滝川市のいじめ自殺は当時の文部科学省を動かした。遺書を公表しなかったことについて、伊吹文明文科大臣(当時)は、記者会見で「幼い子どもが精神的に非常に動揺してるなどという事態は、できるだけ早く見抜いて、家庭あるいは学校現場で、しっかりと対応してもらわないといけないと思いますので、そのためにも握りつぶして公表しないなどということは、あってはならないことだと思います」と述べた。

そして2005年10月17日午後、文科省の職員3人が滝川市役所を訪れ、現地調査を行った。市教委幹部4人から報告を受けている。11月6日には、副大臣が遺族を弔問するという異例の対応もあった。旭川のいじめ凍死事件でも、文科省が調査に乗り出す姿勢を示している。

過去に自殺とされた41件のうち14件でいじめが確認

 ちなみに、文科省統計では、1999年~2005年度にいじめを苦にした児童生徒の自殺の件数はゼロとされていたが、改めて調査したところ、自殺とされた41件のうち14件でいじめが確認された。このうち、滝川市の件を含む3件が「自殺の主たる理由」に、6件が「理由の一つと考えられる」に変更になった。

 文科省はその後、「いじめ問題への取組の徹底について」を通知した。チェックポイントの一つ「指導体制」として、

  1. いじめの問題の重大性を全教職員が認識し、校長を中心に一致協力体制を確立して実践に当たっているか。
  2. いじめの態様や特質、原因・背景、具体的な指導上の留意点などについて職員会議などの場で取り上げ、教職員間の共通理解を図っているか。
  3. いじめの問題について、特定の教員が抱え込んだり、事実を隠したりすることなく、学校全体で対応する体制が確立しているか。

 と定めている。

画期的な和解となった裁判

 その後、滝川市で亡くなった児童の母親は2008年12月、滝川市と北海道を相手に損害賠償を求めて提訴した。市側は、きちんと調査をしていないにもかかわらず、社会的に批判が集まったために、証人にたった担任(当時)が「自殺の原因は家庭にある」「調査委の内容は納得していない」などと主張する一幕もあった。しかし、最終的には2010年3月26日、札幌地裁で和解が成立した。この和解の交渉でも、遺族側は苦労し、弁護士を新たに加えることになった。

 裁判所は和解の前提事実として、「女子児童は小学校3年から長期にわたって同級生から仲間外れにされるなどのいじめを受けていた」と認定した。担任が注意深く観察していれば、いじめを認識できた。場合によっては、女子児童が自殺することも予見できた――などと判断していた。いじめの有無、安全配慮義務、いじめによる自殺の予見性を認めた内容で、画期的なものとなった。

このときの教訓は生かされなかった

 また、この和解では、次のような再発防止に関する内容もあった。

〈被告滝川市は、今後、本件と同種の事件について、真相究明のために、必要に応じて、第三者による調査等を行い、また、被害者及びその親族の意見を聴く機会を設ける〉

 これは、いじめ自殺が起きた自治体の当事者として、今後、いじめによる事件など「同種の事件」が起きた時のための第三者による調査委員会を設置するように促すものである。また、北海道に対しても、次のような再発防止策を求めている。

〈被告北海道は、本件と同種の事件の再発防止のため、本件和解調書の写しを北海道内の市町村教育委員会に送付し、同教育委員会に対し、本件和解の内容を教職員に周知徹底するよう指導する〉

 つまり、道教委に対して、いじめによる自殺などの再発を防止するために、道内の市町村教委に和解内容を送付し、教職員に周知徹底をするように指導することになっていた。しかし、旭川市での爽彩さんのいじめ凍死事件やその対応を見る限り、この和解内容が十分に周知されていないのではないかと思わせる。