雪解けにより発見されたが、遺体は凍った状態だった
捜索を行った近親者が、遺体発見当時の状況を語る。
「爽彩さんが見つかったのは自宅から数キロ以上離れた公園の中です。発見時の服装は軽装で、薄手のパンツとTシャツ、上にパーカーを羽織っていただけでした。検死の結果、死因は低体温症と判断されました。
死亡日時は、2月中旬とまでしか断定できないそうです。
爽彩さんが家出した日は、氷点下17℃以下の凍てつくような日でした。極寒の中、あの軽装で外にいたのでは、正直3時間くらいしか体力的にもたなかったのではないでしょうか。
公園で力尽きたであろう爽彩さんの上に、その後どんどん雪が積もった結果、誰も発見できないまま、3月下旬になってしまいました。
暖かくなり、少し雪が解けたことにより遺体の一部が見えるようになった。公園の近くに住んでいる住民がその遺体を発見し、警察に通報したのです。駆け付けた警察がスコップで雪を掘って、爽彩さんを外に出しました。
彼女の遺体は冷たく、凍った状態でした。
彼女の死が自殺だったかどうかはわかりません。確かに失踪当日、自殺についてLINEでほのめかしていたものの、どこまでその意志があったのかは不明です。なぜ公園にいたのか、その経緯や亡くなった際の詳しい状況もよくわからないので、自殺とは断定できないそうです」
前途ある14歳の少女にとって、あまりに残酷な最期だ。爽彩さんの身に一体何があったのか。
「性的な辱め」のトラウマに苦しんでいた
「文春オンライン」編集部に爽彩さんの母親の支援者から連絡が寄せられたのは、彼女の遺体が発見されてから1週間後のことだった。
この支援者によると、爽彩さんは2019年4月、地元のY中学校に通うようになってすぐ、近隣の小中学校の生徒から「性的な辱め」を受けた過去があり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症、死亡する直前までそのトラウマに苦しんでいたという。
取材班は旭川に向かった。だが、関係者に多くの未成年がいることを鑑み、未成年の関係者への取材は保護者を通じて申請するなど取材は可能な限り慎重に進めた。
取材班は支援者を通じて爽彩さんの母親にも取材を申し込んだ。
母親は憔悴しきっていたが、「本当はお話しするのもつらいのですが、これ以上同じようなことが二度と起きてほしくない。そして爽彩が生きていたということを知ってほしい」と、取材を受諾してくれた。
最後の会話は「気を付けて行ってきてね」
2006年に旭川で生まれ育った爽彩さんは母親と市内のアパートで2人暮らしだった。母親は爽彩さんが幼かった約10年前に夫と離婚し、シングルマザーとして娘を育ててきた。爽彩さんが失踪した2月13日のことは、これまで何度も思い返しているという。
「あの日は、夕方5時頃に私が仕事で家を空けなくてはならなくなったんです。自分の部屋にいた爽彩に『ちょっと1時間だけ空けるんだけど、すぐ戻ってくるね。
戻ってきたら焼肉でも食べに行く?』と声を掛けたら、『今日は行かない。お弁当買ってきて。気を付けて行ってきてね』と。まさか、それが娘との最後の会話になってしまうとは考えもしませんでした。
私が家を出て1時間くらいたったときに警察から携帯電話に着信がありました。出ると、男の警察官が『家の鍵を開けてください』ってすごい勢いで急かすのです。もしかして娘の身に何かあったのかもしれないと思い、急いで帰宅しました。
自宅に戻ると家の前にはすでに多くの警察の方が集まっていて、『爽彩ちゃんの安否確認をお願いします』と言われました。それで、すぐに家の中に入ったのですが、部屋の灯りはついていた。でも、つい1時間前まで部屋にいた爽彩の姿はもうありませんでした」(爽彩さんの母親)
母親に何も告げることなく、家を飛び出した爽彩さんは、失踪直前に自殺をほのめかすメッセージを複数の友人に送っていた。
「ねぇ」「きめた」「今日死のうと思う」
「学校にも外にも行けず、ここ1年ほとんど引きこもっていた娘には、ディスコード(ゲーマー向けのボイスチャット)で知り合った友人がいました。家を出る直前の17時半くらいに娘はその友人に、
『ねぇ』
『きめた』
『今日死のうと思う』
『今まで怖くてさ』
『何も出来なかった』
『ごめんね』
と、LINEでお別れを告げていたのです。
他にも同様のメッセージを受け取っていた方が数人おり、そのうちの1人が警察に『旭川の〈ひろせさあや〉という子が自殺を仄めかしている』と、通報してくださったそうです。
その通報を受けて、私の携帯電話に警察から電話があったのです」(同前)