いじめや争いが完全になくなることはない
こんにちは。清水文太です。
雨が降ったり、かと思えば晴れたり。空は忙しいですね。
今回は、いじめについて書きたいと思います。
最近まで、いじめられて仕方ないって思ってた
僕、学校でいじめられっ子のタイプだったんです。
家庭環境が良くないというのは、いままでのコラムでも書いてきたと思う。
その影響で学校に通えない時期(不登校)もありました。
そのせいで小学生のころは勉強ができず、馬鹿だといじめられた。鉛筆の削りカスを机の上に積まれたり。
主犯格は、初恋の相手(笑)。
いまでは笑い話にできるけど、最近までは「僕が悪かったな」とか「頭が悪かったから仕方がない」と自分のせいだと思い込んで、心の傷になっていました。
そんなことないのにね。
誰かが死んでみないと分からない罪なんて、悲しすぎる
いじめは、からかって「おもしろい」と思った対象がたまたまその人だっただけ、という場合がほとんどだ。
いじめたほうにはいじめている意識がない。 だから、大抵のいじめっこがいじめたことを忘れていたりする。
だけど、いじめによって悲しいことがたくさん起こる。
いじめられた子が自殺をしたり、心を病んで鬱になったり。
万が一、そのようなことが起こった場合、もしかしたら加害者自身も大きな傷を負うかもしれない。「なんで自分はこんなことをしてしまったのだろう」って。
誰かが死んでみないと分からない罪なんて、悲しすぎるね。
ゼロにはできないかもしれないけど、100を1にすることはできる気がするんだ
だけど、なかには誰かが犠牲になってしまっても、自分の罪に気づかない人もいるかもしれない。
むしろ、「あいつはどうして死んでしまったんだろう」なんて、まるで見当違いな思いを抱くことがある。
馬鹿だなって思うかもしれないけど、実際に起こりうる話だ。
そんな悲しいできごとを防ぐためには、自治体や学校、職場の力が必要なのだけど、またそこで争いや、もしかしたらいじめも起こってるから、なかなか変わらない。
結局、一生いじめや争いが完全になくなることはないのだ。人間だから。
でも、そこであきらめてしまった瞬間、悲しいことはもっともっと増えてしまう。
僕はね、完全にゼロにはできないかもしれないけど、100を1にすることはできる気がするんだ。
そのために、僕はこのコラムで書くことが重要だと思った。