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盲目の先生 いじめに苦しむ子どもたちに伝えたい

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竹内昌彦(たけうち・まさひこ)/1945年生まれ。岡山県出身。幼少期に網膜剥離により失明、全盲となる。東京教育大学(現・筑波大学)盲学校教員養成課程卒業。岡山県立岡山盲学校の元教頭。在職中から「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに講演活動を行い、その数は28年間で3000回以上、聴衆はのべ40万人を超える。途上国の視覚障害者の自立支援のため、2011年にモンゴル、2015年にキルギスに盲学校を設立した。それらの盲学校に入学を希望する子どもたちの中には、手術によって視力が改善する子が多くいることに気付き、その手術費を集めるため、2017年にNPO法人「ヒカリカナタ基金」を設立、理事長を務める。その他、社会福祉法人「岡山ライトハウス」理事長、社会福祉法人岡山県視覚障害者協会」副会長も務めている。福武哲彦教育賞(2009年)、読売福祉文化賞(2012年)、ヤマト福祉財団小倉昌男賞(2016年)、ソロプチミスト日本財団千嘉代子賞(2017年)などを受賞(写真:竹内昌彦さん提供)
竹内昌彦(たけうち・まさひこ)/1945年生まれ。岡山県出身。幼少期に網膜剥離により失明、全盲となる。東京教育大学(現・筑波大学)盲学校教員養成課程卒業。岡山県立岡山盲学校の元教頭。在職中から「いじめ」や「命の大切さ」をテーマに講演活動を行い、その数は28年間で3000回以上、聴衆はのべ40万人を超える。途上国の視覚障害者の自立支援のため、2011年にモンゴル、2015年にキルギスに盲学校を設立した。それらの盲学校に入学を希望する子どもたちの中には、手術によって視力が改善する子が多くいることに気付き、その手術費を集めるため、2017年にNPO法人「ヒカリカナタ基金」を設立、理事長を務める。その他、社会福祉法人「岡山ライトハウス」理事長、社会福祉法人岡山県視覚障害者協会」副会長も務めている。福武哲彦教育賞(2009年)、読売福祉文化賞(2012年)、ヤマト福祉財団小倉昌男賞(2016年)、ソロプチミスト日本財団千嘉代子賞(2017年)などを受賞(写真:竹内昌彦さん提供)

 

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 今年8月に『その苦しみは続かない―盲目の先生 命の授業―』(朝日新聞出版)を出版した岡山県立岡山盲学校の元教頭、竹内昌彦さん(74歳)は、幼少期に失明し、壮絶ないじめを経験した。その後、最愛の長男との死別もあった。そんな竹内さんは、いじめに苦しむ子どもたちに「どんなことがあっても、死なずに生きてほしい」と説く。その理由とは? 竹内さんが本書で記したメッセージの一端を紹介する。

*  *  *
 いま学校現場の課題の一つは「いじめ対策」である。いじめは昔からあったが、いまのいじめは、昔よりも陰湿だという。

 弱い者を余計に陥れ、さらにいじめるという。それも1対1ではなくて、集団でいじめ、仲間外れにしてしまう。みんなと一緒になってその子をいじめないと、次は自分がいじめられる側になるかもしれないから、気が進まなくてもいじめに加わるようになる。

 いじめられて学校に行けなくなった子ども、いじめが原因で自殺した子どものニュースを聞くことがある。私はそんなとき、自分がいじめられていた頃のことを思い出し、さぞつらかったろう、悔しかったろう、悲しかったろうと慰めてやりたいと思う。

 しかし同時に、腹も立ってくる。

「なんで死ぬやつがあるか」と叫びたくなる。

 子どもたちの前で話す機会があるたびに、私は必ずこう訴えることにしている。

「みんな自分の命を自分ひとりのものと思うとるんじゃないか。それは間違いだぞ。みんなのお父さんとお母さんは、いますぐこの場所で、わが子の身代わりで死ねと言われたら、親はいつでも子どものためなら死ねる。親はそんな思いで、みんなを大きくしているのを知らんのか。

 みんなはその体の中に自分の命とお父さんの命とお母さんの命と、もっと言えばおじいさんとおばあさんの命まで抱えて、いま、大きくなりよんぞ。それなのに自分だけの考えで、勝手に首なんかつって死ぬやつがあるか。みんなが死んでしもうたら、みんなの親は、その後どうやって生きていったらええんなら。夢も希望も生きていく気力もなくしてしまうかもしれんぞ。どんなに悲しむか考えてみろ。

私は命に係わるような病気をした。そして、この目が見えなくなったとき、親がどんなに悲しみ苦しみ、そして冷たい世間と闘ってきたかを見てきた。だから気がついたことをみんなに話しておきたい。

 これから大人になるまで、大人になってからも、必ず死にたいと思うほどつらいことが何度もやってくる。それでも、何があっても絶対に死んではいかん。死ぬのはいつでもできるんじゃから、それは最後にとっておけ。人間死ぬ気になったら何でもできる。死ぬ前に、竹内流をやってみろ。私は教室じゅうを消火器の泡だらけにして、いじめをクラスみんなの問題にした。いじめっ子の家に砂をまいて、親にも訴えにいった。

 みんなに知らせ、みんなの問題にすることが大切なんじゃないか。人を傷つけることさえしなかったら、派手にやったほうがええんじゃ。おとなしくて竹内流がやれない人は、他の方法がある。

 いじめっ子は必ず誰にも言うなよと言う。これがいじめっ子の弱みなんじゃから、逆にあっちこっち言うてまわることじゃ。中途半端はいけない。きょうだい・親・近所の人・学校の先生たち。場合によってはお巡りさんにも、それから子ども110番の電話も使って、大騒ぎにしてしまうことが大事なんじゃ。誰かにいじめのことを言えたとき、いじめに勝ったといえる。言えない人は紙に書いてみんなに配ればいい。とにかくみんなの問題にすることがなによりも大事じゃ。

 また、いじめの現場を見た人にも言いたいことがある。それを黙って見過ごしていたら、それはいじめっ子を助けることになる。どんな方法でもいいから、そのことをできるだけ大勢の人たちに知らせることだ。誰かに言えたとき、あなたは正義の味方になったといえる。とにかくみんなの問題にすることが、何より大切だということだ。

 いじめをする側の人にも一言いいたい。

 いじめは褒められた行為ではない。あなたがたとえ遊び感覚のつもりでしたことでも、いじめられた人の心は深く傷つき、それは一生消えることはない。人をいじめるのは弱い人間のすることだ。その証拠に、自分より強い人間をいじめることはしない。

私の子どもの頃は、自分より弱い人をいじめることを『弱い者いじめ』と言って、みんなから軽蔑された。人をいじめる力があるのなら、そのエネルギーを弱い者いじめをしている強いやつに向けて、いじめを止めさせることに使おう。そのほうが、よほどかっこいいし気分もいい。

 弱い人を助ける優しさを持った人が、本当の意味で強い人だということを忘れないでほしい」

 こんなことを何百回となく講演で子どもたちに言ってきた。

 教室に消火器の泡をまく、座敷に砂を投げる、これらの行為は、確かにむちゃくちゃかもしれない。しかし、どの行為も人間を傷つけてはいない。人を傷つけたり、殺したりすることだけは、何があってもしてはいけない。本当はここのところを、しっかりわかってほしいと思う。

 私も自分の人生を振り返ってみて、三度ほど「死にたい」と思ったことがあった。それはこの悲しみや苦しみが一生続くと思ったとき、人生に絶望したときだった。

 しかし、これは間違いだった。そのつらいことの後に、必ず「やっぱり生きていてよかったなあ」と思えるときがきた。それだから、いまもこのように生きている。

 どんなにつらいことがあっても、その後に必ずいいことがやって来るということだ。「夜が来たら、必ず朝が来る」「ピンチの後にはチャンスが来る」ということだ。それを信じて、「つらいときも粘れ、しのげ。どうしても耐えられなかったら、そのつらいことから、さっさと逃げ出せ。死なずに生きていたら、必ずいいことが回ってくるぞ」と言いたい。

 つらいときが来たとき、私は鳥になって、空から自分を眺めることにしている。

 その私がトンネルに入った。トンネルは必ず通り抜けることができる。いまその一番つらいときに差し掛かっているのを、上から見つめることにしている。長いトンネルもあるけれど、必ず抜け出せると信じている。そうして、いままで生きてきたのだ。