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大阪小6女児誘拐事件

大阪市の小学6年生の女児が2019年11月17日から行方不明になっていたが、11月23日、600キロ離れた栃木県小山市内の交番で保護された。同時に、大阪府警は、小山市の伊藤仁士容疑者(35)を未成年者誘拐の疑いで逮捕した。12月13日には、大阪地検が起訴した。

伊藤容疑者は困っている人がいたら「助けたい」という心理が働くようだ。警察の取り調べでも、女児を誘拐したことに対して「SNSで助けを求めていた子を助けてあげた。正しいことをした」と話していると伝えられている。

「#家出」「#泊めて」増加する投稿

 インターネットに関連した青少年の家出は新しいわけではない。1999年にNTTドコモiモード・サービスが開始された。これを機に、10代の若者たちが携帯電話を持つようになった。

 

 私がインターネット・コミュニケーションを取材し始めたのもこの前後だった。電子掲示板やブログ、自身のホームページなどを使って、家出していた子どもたちがおり、私も家出前後や最中の中高生に話を聞いてきた。

 現在でも、家出掲示板には書き込みがある。ただ、掲示板文化のユーザー層は、SNSユーザー層よりも年齢が上だ。そのため、コンタクトをとると、30代の女性だったというケースも珍しい話ではない。

 また、誘拐や監禁事件が報じられても、家出に関するTwitterの書き込みは後を絶たず、「#家出」「#泊めて」などのハッシュタグをつけている投稿も多い。むしろ、一時的には増えている印象だ。それは、2017年10月に座間市男女9人殺害事件が発覚したが、その後にも「#死にたい」「#自殺」が減らなかったことと同様な現象だ。

伊藤容疑者が言われた「余計なことしないで」

 小山市で女児が保護された誘拐事件をめぐる一連の報道で気になる話があった。「週刊文春デジタル編集部」が配信した記事の中で、伊藤容疑者がかつてアルバイトをしていた自動車学校の社長の話だ。

 伊藤容疑者は、中学時代に男子数人にいじめられていた女子生徒を助けたことがあると話していた。しかし、その助けた女子から「余計なことをしないで」と言われたという。

 いじめられている女子生徒を助けた伊藤容疑者だが、その行為を今でも「正しいことをした」と思い続けているのではないか。しかし、当の女子生徒からは「余計なこと」と否定されてしまう。

中学時代の伊藤仁士容疑者(卒業アルバムより)

 女子生徒の言葉はいくつもの意味を持っている。中学時代のいじめはナイーブだ。一般的には、いじめ被害者は、いじめから逃れたいと思っていることだろうが、助ける人がいれば加害者からは余計に睨まれ、いじめが激化する可能性がある。

被害者にとって理想的な終息とは

 かつて、いじめられている女子高生を救おうとした、同じクラスの男子高生に話を聞いたことがある。「担任に話したことでいじめは一時的にやんだんですが、先生がいないところとか、学校外でのいじめが激しくなって、止められなくなったんです」。

 別の取材では、いじめられている友人を見た、ある男子中学生は正義感からか目の前で被害を食い止めた。しかし、数日後、逆にいじめられた。そのいじめ集団に、いじめから逃れられた友人がいた。「お前が?」と愕然とするが、助けられた側からすれば、地域で生き延びるには、いじめられるままか、いじめる側にまわるかでしかない。助けられた側には、まさに「余計なこと」だったのかもしれない。

 いじめは「止める」という行為ではなかなか収まるものではない。もちろん、伊藤容疑者の、「いじめから助けたい」という心情は間違いではない。しかし、被害者にとって、望まれるいじめの終息を想像できなかったのかもしれない。このことは、誘拐事件でも同じことが言える。

具体的な解決策なしには…

 

 小山の誘拐事件のように、親と過ごしたくない子どもたちがSNSに、その内容を投稿するのは珍しくない。DMで話を聞いたり、相談に乗る行為まで違法ではない。こうしたやりとりは、子どもの心の整理に役に立つ。

送致される伊藤容疑者 ©︎共同通信社

 実際、当初、伊藤容疑者は女児と心理的距離を縮めるやりとりができていた。仮に会うとしても、DMの延長として話を聞くだけでもよかった。保護が必要な状況であれば、児童相談所や警察に通報すればいいし、そうでなければ、見守る姿勢でよかった。

 伊藤容疑者の、子どもを助けたいという正当性は、誘拐という違法行為によって打ち消された。保護された女児にとっては、伊藤容疑者宅にいることを受け入れられず、また、安全とも思えず、交番に助けを求めた。

 まるで、中学時代に、いじめられている女子生徒を助けたいというストレートな気持ちだけで、逆に、その生徒からは受け入れられないことに似ているのではないか。

 希死念慮(死にたいと願うこと)や援助交際の書き込みがSNSには多くある。多くは生きづらさの表出としての行動なのだろう。「死にたい」とつぶやいたある女子大生には「死んじゃダメ」とリプライがあったという。しかし、彼女は「ありがた迷惑」と話していた。自分本位だったり、欲望のままの声かけは、まさに「余計なこと」なのだ。