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はるな愛さん、いじめに耐え抜いていま世の中に望むこと

個性あふれるキャラクターで多くの人に注目され、マルチな活躍を続けるタレント・はるな愛さん。2009年には、国際大会の「ミス・インターナショナルクイーン」で、日本人初の優勝を果たし、現在は飲食店経営の事業家としての顔も持っている。いつも明るく元気なイメージだが、子どもの頃は壮絶ないじめに遭い、自殺することを何度も考えたという。デビューからおよそ25年。ダイバーシティ社会の中で、いま、彼女が思うことは……。

“女の子になりたい”という願望を隠しながらの毎日

 大きなリボンに愛らしいルックスで幅広い世代から支持されるタレント・はるな愛。1972年に「大西賢示」として生をうけた“彼女”がどのような思いを抱え、どのように生きてきたのか。その日々は、現在の明るいキャラクターからは想像できないほどに壮絶で、死を考える毎日だったという。

 「私は小学生の頃から、『大きくなったらどうなるんだろう』ということばかり考えていました。学校で授業を受けている時も、『紫式部は女性だからいいけど、私は女性ではないし……』など、勉強がまったく手につかないほど、来る日も来る日も自問を繰り返して。当時(1980年前後)の日本では、私のようなトランスジェンダーはポピュラーな存在ではなく、陰に隠れているイメージ。もし、カミングアウトしてしまったら、『大西んとこの息子がオカマになった』という噂が団地中で独り歩きし、家族が生活しづらくなってしまう。だから、『女の子になりたい』という願望は誰にも打ち明けることができず、口にしてはいけないことだと自分に言い聞かせながら暮らしていました」

 そんななか、はるなが女の子の格好をし、テレビ番組で松田聖子のモノマネを披露したことからいじめがスタートした。

「私が死んだところで向こうは何のダメージも受けない」

「中学に入ったら、男らしくしないといじめられるよ」という母親の助言を受けて、ポケットに手を突っ込みながらガニ股で歩いていたにもかかわらず、いじめはどんどんエスカレートしていった。

 「歩いていたら足を引っかけられたり、蹴られたり、わざとぶつかってきたりは日常茶飯事。休み時間に掃除用具箱に閉じ込められ、横に倒されてゴロゴロ転がされたり、地面に白線を引く石灰を体育倉庫で口の中に押し込まれそうになったり。親に相談しようと思うけど、母は夜に商売をしていたので帰宅した時に私は寝ているし、私が起きている時間は母が寝ている。本心を押し殺して、なるべくバレないようにと自分を偽りながら生活しているのに(いじめられて)、いったい何のために生きているんだろうと。『生きていたってしょうがない』――そう覚悟した私は、自ら命を絶つことを何度も試みました。壁に頭を打ち付けて、血の味を感じながら意識がなくなるタイミングを待ったり、下を走るトラックめがけて歩道橋から飛び降りようとしたり……」

 自殺未遂を繰り返しながら、すんでのところではるなを思いとどまらせたのは、自分をいじめている相手への感情だったという。

 「私が死んだところで向こうは何のダメージも受けない。そして、そんなヤツらのために親を泣かせることになってしまう。だから、死ぬことは何の解決にもならないと、いじめに耐えながら生き抜くことを選んだんです」

芸能生活は、決して順風満帆といえるものではなく…

 そして、そんなはるなに生きる希望を与えてくれる、ある救世主との出会いが待ち受けていた。

はるな愛(あい)◎1972年7月21日、大阪府出身。タレント/歌手。本名:大西賢示。90年代半ばから、ものまね芸(エア松田聖子・エア松浦亜弥など)でバラエティ番組に出演して人気を博す。2008年12月には、「I・U・YO・NE~」でCDデビュー。特技は、エア芸・ジャズダンス・ピアノ・トランペットなど。レギュラー出演番組に、『ドデスカ!』(名古屋テレビ/メ~テレ)、『映画MANIA』(東海テレビ)などがある。出雲観光大使、韓国観光名誉広報大使。「ミス・インターナショナルクイーン2009」世界1位、「BEST JEANIST 2010」受賞、「ネイルクイーン2011」受賞。

「母のお店のお客さんが、『賢ちゃんと同じような人たちがいるから』と、ショーパブへ連れていってくれたんです。そこで働いていたニューハーフのマキさんというお姉さんと出会って、こんな居場所があるんだって。マキさんは私に『テレビ見たよ。女の子の格好して、聖子ちゃんのモノマネしてたね。あんたはうちらと一緒やから、明日から来なさい』と言ってくれて、弟子入りみたいなかたちでお世話になることになったんです。やっと理解者が現れたと、目の前が大きく開けた瞬間でした」

 恩人との出会いに助けられ、下積みを経て、芸能活動を開始したはるな。人気アイドル・あややこと松浦亜弥の動作やMCを完コピした“エアあやや”で、一躍人気タレントの仲間入りをはたしたものの、彼女の芸能生活は決して順風満帆といえるものではなく……。

 「現在(いま)みたいにテレビのお仕事をたくさんいただけるようになる前のこと。岐阜で暮らす母に会いに行ったんです。『仕事は大丈夫なの?』と聞かれて、『こっちでは放送されないけど、東京だけの番組に出ているよ』って嘘をついたんですが、母は何もかもわかっていたようで、『苦労は絶対に報われます』と書かれた手紙と2万円を渡してくれました。悲しい思いをさせたくないから、母の前では〝賢示〞として振る舞っていたんですが、ある日、母が『愛って呼ばなあかんね』と。そんな母と接していることがつらく、日帰りで東京へ戻ろうとしたら、『愛のためにパジャマを買ったから泊まっていき』って。お風呂からあがると、クマのイラストの可愛らしいパジャマが用意されていて、私の生き方を認めてくれたんだなって思いました」

 一方、父親のほうはいまだに「賢示」と呼ぶものの、はるなが女性として生きたいと打ち明けた高校生当時、「やるんだったらとことんやれ。その代わり、“男”なら1番をとれよ」と励ましてくれたそうで、はるなは「女として生きたいって言っているのに『男なら』って(笑)。お父さん、意味わかってるのかな?って思ったけど、その言葉がいまもずっと残ってるんですよね」と懐かしそうに回顧する。

トランスジェンダーが置かれた現状を目の当たりにして

 そして、そんな父の言葉が現実となる“感動の瞬間”が訪れる。

 「小さい頃からミス・ユニバースなどのコンテストを見るのが好きだったんですけど、トランスジェンダーの美を競うコンテストがあることを知って、テレビにたくさん出演させていただけるようになった2007年に挑戦することになったんです。あのきらびやかな世界に私も参加できるんだ、とにかくクールでいなきゃと皆さんの真似をして、世界レベルについていこうと必死だったんですが、結果は4位。悔しかったですね。そんな経験をバネに、2009年に再びチャレンジしました。どんなことをしてでも1位は獲りたいけど、人と同じことをしては意味がない。今回は自分らしくいようと臨んだ結果、ミス・インターナショナルクイーンとして、世界の頂点に立つことができました。本選の舞台となったタイから日本にいる父に電話して、私としては『うぉーっ、やったか!』みたいな反応を期待していたんだけど、お父さんは『ホンマ、お疲れさん』って一言だけ。それもお父さんらしいなって思いましたね。大舞台で頑張ることができたのは、あの時、父がかけてくれた言葉があったからだと思います」

 世界の頂点に立ち、栄華を極めたものの、そこではるなは他の国のトランスジェンダーが置かれた現状を目の当たりにして、激しい衝撃を受けた。

 「コンテストの参加者と食事をしているときにネパールの子がいきなり泣き出したんです。理由を聞いてみたら、『タイという国は、トランスジェンダーにとってとても自由だから羨ましい。世界にはまだまだ理解してもらえない人がたくさんいる。世界一になったからには視野を広く持って、かつての私やコンテストでのネパールの子と同じように苦しんでいる人たちの役に立ちたい。私たちの国ではいまだに石を投げつけられたり、差別されることが当たり前だ』って。私はテレビに出て、世間から受け入れてもらえるようになったけど、世界にはまだまだ理解してもらえない人がたくさんいる。世界一になったからには視野を広く持って、かつての私やネパールの子と同じように苦しんでいる人たちの役に立ちたい。そう強く願うきっかけをくれた大会でした」

個性を理解できたら、LGBTという言葉もなくなっていくはず

 芸能界きっての愛されキャラとして多忙な毎日を送るはるな――彼女は自分が置かれた状況や、現在の日本についてどのような考えを持っているのだろう。

 「いまでこそ、オネエタレントや女装家と呼ばれる人たちが芸能界でたくさん活躍していますが、私は特別視されたり、腫れものに触るように扱われて痛々しくなってしまうことがイヤだったんです。一時期、皆さんの代表のようになってしまったこともあったけど、私は代表ではなく、はるな愛というタレントの一個性として見てほしかった。ここ数年、『LGBTについて考えよう』というテーマで講演会などに呼んでいただく機会もありますが、私自身、実はその言葉があまり好きではないんですよ。私たちはそんな言葉がない時代に必死に道を模索し、社会になるべくなじむようにと生きてきた。なかには、LGBTという言葉ができたことで気持ちがラクになった人もいるんだろうけど、『その言葉で理解してね』と声を上げるのは、違うんじゃないかなって。それぞれが抱えた性は、体の不自由な人がいることと同じように“個性”のひとつ。その個性を理解することができたら、LGBTという言葉もなくなっていくんじゃないかな」

 2010年に、はるなは日本テレビの「24時間テレビ『愛は地球を救う』」のチャリティーラソンランナーに抜擢され、約85kmを完走した。日本を代表するチャリティー番組の顔に起用されたことは忘れられない出来事になったという。

 「私は子どもの頃からテレビが大好きだったんですけど、かつてのテレビというのは元気を与えてくれる“箱”だったと思います。歌番組やバラエティはいまよりもギラギラしていて、生命力にあふれていた。それが最近はちょっと醒めているというか、周りの目を気にし過ぎているというか。時代の流れももちろんあるんでしょうけど、例えば、ヤラセと括られる過剰な演出も、初めから嘘で固めようとしていたのではなく、より楽しいものにしたいという思いがあっての結果だったり……そこでダメになる番組が増えていることは、テレビを愛するひとりとしてすごく寂しいし、残念です」

「耐えなきゃいけないことも、私にとって意味のあること」

 飲食店を経営する事業家としての顔も持つはるな。対人関係において心がけていることを尋ねると、「すべての出会いにおいて、意味があると思うんです。その人と出会ったのは偶然ではなく必然。時には耐えなきゃいけないことだってあるけど、それは私にとって意味のあることだと、自分に言い聞かせるようにしています」。

 インタビューの最後に、これからどのような社会になってほしいかという質問を投げかけてみた。

 

 「先ほど、LGBTという言葉を私はあまりよく思っていないとお話しました。最近ではそこにQがプラスされ、LGBTQというふうに表現されるようにもなりましたが、私はこの言葉が広く浸透していくことよりも、将来的にはなくなってほしいという願いすら持っているんです。みんなが違う朝ごはんを食べて、職場や学校に来ているように、感情や生き方は人それぞれ。東京オリンピックパラリンピックも開催されますし、新しい日本のあり方について、世界へ発信する絶好のタイミングだと思います。隣りの人の個性に気づいていける世の中になってほしいですね」