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(3)北海道 凍死事件 背景にある いじめ問題 の詳細! (1)~(25)まで

※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。
この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。
爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。
名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

 

 

「ママ、死にたい」

今年2月13日、北海道・旭川。氷点下17℃の凍てつく寒さの夜に突如、
自宅を飛び出して行方不明となった中学2年生(当時)の廣瀬爽彩(さあや)さん(14)。

 警察は公開捜査に踏み切り、家族や友人、ボランティアらが必死に捜索を続けていたが、残念ながら、爽彩さんは3月23日に雪に覆われた公園の中で変わり果てた姿で発見された。警察による検死の結果、死因は低体温症。爽彩さんは失踪当日に亡くなっていた可能性が高く、その遺体に堆く雪が積もった結果、発見が遅れてしまった。発見当時、爽彩さんの遺体は凍っていたという。

※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。
この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。
爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。
編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

旭川市内を流れる石狩川 ©文藝春秋

 

イジメ集団と中学近くの公園で出会ってしまった

 爽彩さんの母親がイジメの事実を知り、「娘の様子がおかしい」と、親族に相談を持ち掛けたのは、爽彩さんがY中学校に入学してから2カ月経った6月のことだった。
親族の1人は「イジメにあった後の爽彩は、それまでとは別人のように変わってしまった」と悔しさを滲ませる。

「もう元の爽彩ではないんですよね。何て言うんだろう。
イジメを受ける前と後の爽彩は、周りの誰が見ても明らかに違ったんです。
以前は笑って外に出かけたりして、勉強も好きな子でした。
『将来は検察官になる』と言っていた子が、イジメを境に学校にも塾にも行けなくなってしまいました。医者からはPTSDと診断され、やがては自分の部屋に引きこもってしまった。
時々、部屋からは『ごめんなさい、ごめんなさい』と独り言が聞こえて、
何かに謝っているようでした」(同前)

廣瀬爽彩さん

 2019年4月、爽彩さんは地元のY中学校に入学した。
学区の関係で、爽彩さんが通った小学校からこの中学校へ進んだのはわずか数名。
爽彩さんはクラスになかなか馴染めなかったという。

 きっかけとなったイジメグループとの接点は、中学入学から間もない4月中旬、
中学校の近くにある児童公園で生まれた。
緑溢れるその公園は付近の小中学生のたまり場だったという。

「爽彩は中学に入学してからはいつも、塾に行く時間が来るまで、そこで勉強をしたり、
小説を読んだりして過ごしていました。
やがて、その公園で、同じ中学の先輩らと顔見知りになる中で、
2学年上のA子と知り合ったのです。

 最初のうちA子とは、公園で話したり、夜に帰宅してからは音声を繋ぎながらネットゲームをしていたようです。
ただ、A子の友人のB男と、近隣の別のZ中学校に通うC男がグループに加わると様子がそれまでとは変わっていきました。
夜ゲームをしている時も、わいせつな会話をしながら、ということが増えていったそうです。
この頃から、A子、B男、C男らによるイジメが始まったようなんです」(同前)

イジメをうけた後に爽彩さんが描いた絵(母親提供)

 天真爛漫だった爽彩さんの表情からは笑顔が消え、家でも暗く思い悩んでいる様子を見ることが多くなった。
5月には、生まれて初めて母親に「ママ、死にたい……」と洩らしたという。
前出・親族が続ける。

「今までそんなこと言ったことがなかったのに、部屋からぽっと出てきて
『ママ死にたい、もう全部いやになっちゃって』と。
母親が『何があったの? イジメとかあるんじゃないの?』と聞くと、
『大丈夫。そういうのじゃない』と答えたそうです。

 ゴールデンウィークには、深夜4時くらいにB男らにLINEで呼び出された爽彩が、
いきなり家を出て行こうとしたところを母親が止めるという出来事もありました。
母親がいくら止めても、爽彩は『呼ばれているから行かなきゃ』と、すごいパニックを起こしていた。ようやく引き止めたものの、その後もひどく怯えていたそうです」