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(12)北海道 凍死事件 背景にある いじめ問題 の詳細! (1)~(25)まで

 

※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。
この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。
爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。
名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。

 

【独自入手】

《おな電をさせられ、秘部を見させるしかない》《自殺未遂しました》

 

亡くなる約1年前、廣瀬爽彩(さあや)さんは自分が受けた壮絶なイジメの実態について、ネットで知り合った友人に対して下記のようなメッセージを送っていたことが新たにわかった。「文春オンライン」取材班が独自入手した。

 その一部を引用する。

《内容を簡単にまとめると

・会う度にものを奢らされる(奢る雰囲気になる)最高1回3000円合計10000円超えてる。

・外で自慰行為をさせられる。

・おな電をさせられ、秘部を見させるしかない雰囲気にさせられて見せるしか無かった。

・性的な写真を要求される。

・精神的に辛いことを言われる(今までのことバラすぞなど)etc……

ありまして、、

いじめてきてた先輩に死にたいって言ったら「死にたくもないのに死ぬって言うんじゃねえよ」って言われて自殺未遂しました》

イジメの被害を伝えるメッセージ

 

今年3月、北海道旭川市内の公園で積もった雪の中で亡くなっているのが見つかった爽彩さん(当時14歳)。死因は低体温症で、警察も自殺とは認定しなかったが、「文春オンライン」では4月15日から7本の記事を公開。その死亡の背景に上級生らからの凄惨なイジメがあったことを報じた。

 

無理やり撮らせたわいせつ画像をイジメグループ内で拡散

 2019年4月、市内のY中学校へ入学してからほどなくして、爽彩さんは、上級生のA子、B男、Z中学校に通うC男らからイジメを受けるようになった。
イジメは日に日にエスカレートし、加害生徒らが爽彩さんに無理やり撮らせたわいせつ画像をイジメグループ内で拡散したことや、公園内でイジメグループが複数名で爽彩さんを囲み、自慰行為を強要したこともあった。

爽彩さんは同年6月に、イジメグループら十数名に囲まれた挙句「死ぬ気もねぇのに死ぬとか言うなよ」と煽られた末に、地元のウッペツ川に飛び込むという“事件”を起こした。
この事件ののち、爽彩さんは長期入院を余儀なくされ、同年9月には市内のX中学校へ転校。
しかし、X中学校へもなかなか通うことができず、家に引きこもりがちな生活を送るようになった。
医師からはPTSDと診断され、イジメのフラッシュバックに悩まされていた。

飛び込み事件の現場となったウッペツ川 ©文藝春秋

 

校長は「爽彩さんの死亡と自慰行為強要は関連がない」

 冒頭の爽彩さんのメッセージは2020年2月に書かれたものだ。
この時期、彼女は引きこもりがちになり、依然としてイジメによるPTSDに悩まされていたという。

 いかに悲惨な性被害にあったかについて、彼女自身の言葉で綴られている。こうした言葉を綴るだけでも、当時の場面がフラッシュバックし、つらかったのではないか。

取材班は爽彩さんがイジメを受けた当時通っていたY中学校の校長を直撃。校長は「イジメはなかった」「(男子生徒が当時12歳だった爽彩さんに自慰行為を強要して撮影したことが)今回、爽彩さんが亡くなった事と関連があると言いたいんですか? 
それはないんじゃないですか」などと答えた。

だが、少なくとも彼女が、自身が受けた行為を「イジメ」だったと認識し、そのトラウマに悩まされていたことは、今回のメッセージを読めば明らかだ。

イジメをうけてから爽彩さんが描いた絵

 爽彩さんは、ウッペツ川に飛び込んだ事件以降、精神的なショックから入院、2019年9月に退院した後はイジメを受けたY中学校からX中学校へ転校することになった。

 

「わいせつ画像が拡散された学校への復帰はありえない」

 爽彩さんの親族が語る。

「Y中学の教頭先生は『うちの生徒なので戻ってきてほしい』と学校に復帰するよう爽彩に勧めましたが、わいせつ画像が、どれだけ学校中に拡散されたのかもわからない上に、加害生徒がまた近づいてくる可能性もあった。
それで学校に復帰なんてありえない。
そこでX中学校へ転校することにしました。
その際に、自宅も引越ししたのですが、場所は以前の学区からはバスで1本では行けない、離れた場所にしました。
しかし、それでも爽彩は外に出ることに怯え、新しい学校に行くことも拒んでしまったのです」

爽彩さんが通っていたY中学校 ©文藝春秋

爽彩さんの「最後の声」を聞いたネット世界の友人

 爽彩さんは、家に引きこもりがちになり、もともと関心があったネットやゲームに没頭するようになった。
学校に通えなくなった爽彩さんにとって、そこだけが、家族以外にありのままの自分を見せることができる“居場所”だったようだ。

辛くて思い出すのさえ苦しかったはずの「イジメ」の内容について、あえて伝えたのも、相手が唯一心を開くことができるネットの世界の友人だったからだろう。

 爽彩さんはそうしたネットの友人たちに、自身が受けたイジメについて相談をしていた。
そして、再び学校に通えるよう努力し、なんとか明るい未来を見出そうと必死にもがき、苦しんでいた。

爽彩さんがネットを通じて知り合った友人に送っていたLINEメッセージ

 取材班はそんな彼女の「最後の声」を聞いた友人たちに接触した――。